本当にここ1年でツイッターが急速に広まっているが、どうもぼくは使いこなせない。
あの小さな枠になんと面白いことを呟けばいいかわからない。むしろわからんけど、しょーもないことばっか呟いてそれが世の中に発信されて勝手にリツイートとかされてその価値観を世の中の意見として押し付けられているような気さえしてしまう。それは社会問題に対する意見ばかりでなくて笑いのセンスすら押し付けられているような気になる。
ツイッターは、ブログが進化した形だという意見もある。人は基本的に世の中に対して自分の存在をアピールしたがりで、今まではブログがその代表であったけど、もっと手軽にできるということでツイッターが広がったとかなんとかいう意見。
確かにブログって芸能人のブログを見ているとよくわかるが、日常の出来事を書いていくもので、ツイッターも今何してるといったように、似ている。
おそらく、ここがぼくが使いこなせない原因なんだろう。ぼくのブログは見てわかるように日常生活のことについてはあまり書かない。
自分の思ったこと感じたことをつらつらつらつら書いているだけである。だからブログの延長で、ツイッターをやるのは難しい。自分の考えを書くにはあまりにもわくが小さい。もう少しラフに呟いた方がいいんだろうか。しかしながらしょーもないことばっか呟いておもんないやつだと思われるのも嫌だ。それならやらんほうがまし。難しいところ。
もうちょっとツイッターについて研究が必要だ。
Android携帯からの投稿
月別アーカイブ: 2011年4月
経験は買ってでもしろ
苦労は買ってでもしろっていうけどそれは実に良い言葉だとぼくは思っている。でもぼく的に言い換えるならば経験は買ってでもしろと言い換えたい。
実際お金で買える経験なんてたくさんある。いつも繰返し同じように趣味にお金を使うのもいいが、たまには新しいことに挑戦するためにお金を使うのがいいんじゃないかと個人的には思う。ぼくの場合まだお金を自分で稼いでいるわけではないので必要最低限で(笑)
新しいことを始めるのは、多くの場合とても学ぶことがおおい。しかしながら確かに、新しいことを始めるのはちょっと怖いところもあるし勇気をもって飛び込まなければならない。正直そんなことをやっても全く意味ないかもしれないし、むしろ損するかもしれない。周りに批判されることもあるかもしれない。
それでも何か新しいことを始めたらなんかしらの学ぶことはあると思う。少なからず実際にぼくはそう体験してきて今のところはそう感じる。
どっかで自分の糧になっている。変わらないなんてつまらない。日々何かを変えて成長していくのが面白い。見ているだけでもダメ。実際に体験したらきっと何かえるものがあるって。たとえそれを人にばかにされたとしても、きっとそいつはその体験してないしそいつには批判する権利はない。実際に体験してるやつの勝ちだ。
何が言いたいかっていうと少しでも興味のあることは何でもいいから経験したほうがいいよってこと。
だからといってこれを人に無理強いをしようとしてるんじゃなくて、
せめて、、、新しいことを始めようとする人がいたら、批判するんではなく、それ面白いねと言って背中を押してあげて欲しいと個人的に思う。
初めてのAndroid携帯からの投稿
人生不平等論
ルックスとか
賢いとか
運動神経とか
おもろいとか
所詮才能っすわ
努力とかしたくないわー
努力なんて伝家の宝刀でも何でもなくてただひとつの手段にしか過ぎないって
「ちんちんかゆいわー」とか言ってふざけていたい
もう死んだろうか
ごめん、全部嘘
童貞迷子
男は一生童貞と思うわけですが、これはあくまでも経験があるなしの話ではなくて、気持ちの問題
どこまでいっても結局男はさみしがり屋で手にすることができない愛に飢えている
オナニーっていうのはその最たる例でありまして、射精後の虚無感というのかそれはそれはなんとも言えないものがあります
SEXって愛のあるもんではなくて、その行為自体がオナニー
どこまでいっても童貞という迷宮からぬけることはできない
あぁセックスしてぇ
わこつ~
わこつ~。
いや前回もニコ生について書いたんですけどまだハマってます。
っていうのもね、最近ニコニコ動画にハマってるんですよ。
ニコニコ動画の中にもニコニコ生放送っていうのがあるんですけど、これが面白い。
いや単純に一般人がカメラなりマイクなりを使って生放送してるって言うだけなんですけどね。
そんで視聴者はコメントして、その配信してる一般人がコメントにコメントを返して会話をして楽しむというもの。
なんつーか結構可愛い子も放送しているわけですよ。
本当に普通の一般人の子なんですけど、自分でカメラ用意してパソコンにつないで放送してて、特におもしろい話をしているでもなしにただただ来たコメントに対してコメントするだけという一見ちょーつまらなそうな気がするんですけど、これが意外とハマっちゃう。
なにが良いかっていうのは、なかなか伝えるのが難しいんだけど、
まず、普通にそこらへんにいそうな可愛い子が、一人で放送してるっていうのが良いじゃないですか。
これまた、ぼくの中で一人でいる女の子は可愛く見えるっていう法則があるんですけど、まさにそれ。
結構ニコニコ生放送するのも、準備するのが大変なんですよ。ましてや女の子なんかパソコンが苦手な人が多いのに、もっと大変だと思います。もっと言うと、お金もかかるし時間だって決めて放送しなくちゃいけない。
そんなに大変な苦労があるにもかかわらず、放送してくれてるっていうのが良い。
あと女の子の放送の定番なんですけど、生放送でコスプレ枠って言ってOLやらCAやらチャイナとか初音ミクとかアニメのキャラとかのコスプレをしてくれるんですよ。
単純に本人がコスプレが好きなのかもしれないですけど、それでもわざわざ来て放送してくれるっていうやさしさっていうか健気さっていうかもう日本語じゃ表現できないくらい素晴らしい。逆にこっちが申し訳ないくらい。
ここがアイドルとの違いだと思うんですけど、普通のアイドルもコスプレしてイベントとかしますよ。でもそれって仕事だからっていうのが否めない。確かに近年、しょこたんを筆頭に私生活でブログにコスプレの写メを載せていますけど、あれはあれで良いですけど、結局はアイドルだしなーっていう風に思ってしまうんですよ。確かに可愛いし、グッとくるんですけど、結局は手の届かない存在というか、自分とは別次元の人間だなと思ってしまうんですよ。
でも、ニコ生はそうじゃない。ニコ生は、団地妻じゃないですけど、お忍び感というかこっそり感がある。自分だけが発掘した、自分が育てた、そんな気分になるんですよ。相手が一般人であるがゆえにとても身近に感じられる。それがアイドルとの違うところ。
最後にこれが一番ニコ生の魅力だとおもうんですけど、ニコ生は「コメントできて、その反応が直接返ってくる」んですよ。見てコメントとしてみたらわかると思うんですけど、相手が一般人と分かっていつつも、自分の書いたコメントが読んでもらえると想像以上にうれしいんです。本当にうれしい。良くライブとかにいって有名人とかに手を振り返してもらったりするとすごく嬉しかったりするじゃないですか、それに近い。またハマってくるといかに読んでもらえるコメントをできるかをい考えるんですけど、これまた面白い。自分のコメントをテーマに話が進んでいくわけですから、放送主が興味があって読んでくれそうかつ際どいラインのおもしろいコメントを考えるわけです。
それで読んでもらえた暁にはもう発狂するくらいうれしいですよ。
そんなゆーて一般人相手にそんなことしていて楽しいかと思うかもしれないですけど、楽しいんですよ。これをうまく説明できなくて歯がゆいんですけど、とにかくおもしろいんですよ。
もっとニコ生の魅力はある。ラジオともテレビとも違う。ネットならではのおもしろさがすごい。よくできてる。アイドルもいいけど、ニコ生はニコ生で良い。でもニコ生からアイドルになるとかはあまり感心できない。ニコ生っていうのはある意味他のメディアから隔離されているメディアであってそれをそれを他のメディアに発展させるのは、魅力が半減する。本当にこれはニコ生だからこその魅力。
ニコ生おkっす。
ニコ厨
今日腐るほどニコニコ動画でニコ生を見てしまった。
一般人が自分をカメラで撮って生中継するというもの。
そんで視聴者はコメントして、その配信してる一般人がコメントにコメントを返して会話をして楽しむというもの。
このように書くとそんなんが面白いのか?と思うかもしれないが、意外と面白い。
いわばテレビと会話するようなもんだ。もう配信者はある種芸能人的な感じになっていてその人にコメントしてもらうのが嬉しい。
きっと理由はいろいろあるだろうけど、純粋に人と話すのが楽しいというのが一番の理由じゃないかと思う。
最近スカイプなどでも友達と話してかなりの時間を浪費していることが多い。
確かに楽しい。
しかしながら、そのような時間は超絶無駄だと感じる。
確実に会って話しているほうが充実してる。
密度の濃い時間を過ごすことばかりが良いというわけではないが、気を付けてないと流されて自分にとっていちばん大切な時間を無くしてしまう気がしてならない。
いままではテレビが人の時間を奪っていた。言ってしまえば馬鹿にしていたと思う。でも今はネット動画やスカイプが人の時間を浪費させ、馬鹿にしているじゃないか。
ゲームならある程度時間を考慮しながらやるが、テレビやネット動画はあまりにも情報が一方的すぎて時間すらも気にしなくさせる。
これは本当にこわい。すべてが吸い込まれてしまう気がする。
楽しいけど我慢する必要がある。自分で考えることはしないいけない。影響を受けるだけではダメだ。自分の中で咀嚼し考えを発展させないと腐る。
またメディアは考え方はある意味全部偏っている。
それはメディアという媒体を通している限りしょうがないのかもしれない。考え方なんていく通りでもある。その考えをなぞって、一番自分に近い考えを偉ぶんじゃない。結果はメディアと同じになろうが、その過程はオリジナルでなければならない。それは、意識的に自分で考える時間がないと得られない。
上に書いたこと自体あくまでも考えのひとつだ。もはやこんなこと考えるかどうかすら良くないという考えがあるだろう。このように考えてブログを書くことが良いという考えの下、過程はオリジナルであるべきという考えが成り立っている。
この考えすら、一意見だ。
つまり、一言でいうと勉強もしなくちゃいけないねということ。
元祖アヒル口は鈴木あみ
いや、参ったね。
4月ですよ。
新年度の始まり。
サークルでも新入生を勧誘するためにいろいろ準備しているんですが、いろいろうまくいかないね。
いかんともしがたいこともある。
今日はサークルのビラ配りとOBの人と麻雀。
自分からなにをしなくても、いろんな人と交流があるのは恵まれた環境だ。
でもなにかしないとつまらんわな。自分も他人も。