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本当にその人のことを思うならば理論

どうもぼくです。

なんか最近地味にいろんな人にコタシンドットコムが見られている気がする。これはそもそも勉強の一環で立てたサーバーで、脆弱なのであまりアクセスはしないでください、、、(・ω・;A)フキフキ

今日の話題は、本当にその人のことを想うならば~理論は正しかった。
久しくそんな自己啓発本も読んでるわけでもないし就活してるわけでもないので成長とはなんぞやと考えていなかったんですが、たまたま感動した言葉を見つけてしまったので、書きます。

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『掃除道』鍵山 秀三郎

一つ目の幸せは、してもらう幸せです。

二つ目の幸せは、自分でできるようになった幸せです。

三つ目の幸せは、人にしてあげる幸せです。

人がしてほしいことをしてあげれば喜ばれます。そんな人は頼りにされます。人にものを差し上げる、自分の身体と時間を使って何かをして差し上げる、相手の喜びをわが喜びとする。この幸せを大事にしていただきたいのです。

「してあげる幸せ」は三つの幸せの中でも最高の幸せです。
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らしい。昔見たことあるような言葉だけど久々に見て『確かに、』と思った。

世の中にはそんな悪い人はいないし、大抵のことは自分のためにやってもらったことはなんでも嬉しい。でも、そっから自分でできたらもっと嬉しい。でさらにそれを人にやってあげたらもっと嬉しいよねって話。

好奇心を持つってことともリンクしてると思うんだけど、その最終地点はやっぱり人のためなんだって思った。

そんで本当にその人のことを思うならば~理論はやっぱり正しかったよねって話に繋がるんだけど

これは、ぼくがよく言う言葉で『本当にその人のことを思うならば、やっぱり正直に言うべきなんだって』みたいな。主に恋愛系でいう。

なにかアクションを起こそうと思っても、いろいろ考えるとなにもかも不安要素に思えて結局現状維持って結論に達してしまいがちになる。
でもその時に、自分がしなければならないことは不安になることではなく、本当にその人のためになることを考えてアクションすることが重要。

ぼくがよくする話で『恋愛ゲーム理論』って言うのがあるんだけど、現実の恋愛も結局ゲームと同じように動けってやつ。

例えば、ラブプラスで寧々さんを落としたいと思ったら放課後は寧々さんがアルバイトしてるファーストフード店に通うだろって。寧々さんいないと思っても少しでも好感度あげるために毎日毎日ファーストフード店の選択し選ぶでしょって。
でも現実は、そんなことしない。毎日行ったらストーカーだと思われるとかキモいとかしつこいとかマイナスのことばかり考えて結局行動しない。でも本当にその人のことが好きで、自分が世界で一番その人のことを大切にできる自信があるならば、玉砕覚悟で何回もアタックするべきなんだって。そこは動いてから考える理論だろって。

つまり、やっぱり自分がしてもらって嬉しいことはしてあげるべき。それが相手のためにできる自分にとっての最良の手段。
それで嫌われたらその時に考えれば良い。

きっとこれは恋愛以外でも、人間関係を築く上で大切。もっと言うと人間のコミュニティ存在し続ける限り自分にできる最良の関わり方なんじゃないかと思った。

ビジネスだってきっとそうで、人のためになることを率先してやってあげる。まず自分からギブすることが大切。

本当に自分の身の回りの人全員に対して『本当にこの人をことを想ったら~』って出来たら最高に幸せになれるのかも。

世の中の真理はこのひとつだけだ!みたいになってすんごい胡散臭いブログになってしまった気がするけど、純粋に今そう思ったので良い。

途中死ぬほどたばこ吸いたくなったけど、まだ禁煙続いてるので我慢してもうねます。

考える倫理観

人はなぜ考えるのか。
成長するため?
自分の身を守るため?
幸せになるため?
何かを守るため?

人はなぜ自分の意見を主張したがるのか。
共感して欲しいから。

自分の考えを通すということは、良いことか否か。

その考えがすべての事象を包括的に考え、すべての人幸せになる意見だとしても、押し通すことは良くないかもしれない。
その考えのすべてを理解してくれる人なんてごく僅かなわけで、必ずしも正しいという保証はない。

多くの人はそれを「わがまま」だと思うだろう。

ならば、自分の意見を主張しないほうが良いのかもしれない。

この世の中の意見はきっとどれが正しくてどれが間違っているっていう明確な基準なんてない。しいて言うならば法律ぐらい。でもやはり基準っていうのは倫理観というものである程度定まっていて、多くの人は持っているわけでその倫理観という見方の中で物事を「これは正しい、これは間違っている」という判断を下している。

そしてもし他人が間違っていると思えば自分の倫理観に従い、注意なり叱ったりしてその行為を正すものなんだろう。

多くの人が共通して持っている倫理観に、逆らうならばそれはそれは多くの非難を浴びる。もし仮に自分が正しかったとしても全世界の人が持っている共通の価値観を変えることは当たり前だができない。

そんなことは起こり得ないというだろう。大抵の場合、多くの人が思っていることは正しいと。

ただ仮に、万が一そんな状況になったら自分はどうするか。
どう考えてみても、自分は間違っているとは思えない。でも多くの人が思うのならそうなんかな。自分がおかしいんだ。「当たり前のことを当たり前と思うことが正義だと思うことにしよう」って本気でそう思うことができるんだろうか。

そんな自分の中の疑問を表に出さず、気づかないふりをして生活する。そのうちそんな疑問を感じていたことなんて感じなくなっちゃって、人に流されてなんとなく楽しい人生って思って死んでゆくんじゃないかと思うとなんかすごく切ない。

正解なんてないと割りきって生きるのが正解?
正解なんてあるのかよと言いつつも探していく人生のほうが良かったんじゃないのか。

生きる意味っていうのは難しい。生きる意味っていうのは、裏を返すと死なない意味になると自分は思うのだが、どうなんだろうか。迷惑をかけないならば死んでもいいのか。

最近、善悪の判断ができてない。

何が正しくて、何が悪いことなのか。非常に危ない。
もう少し冷静になれ。

楽しむためにはリスクをとらなくちゃ

こんにちわ。
最近普通の日記を書いてないと思いつつも、特に書くこともなく研究室バイト遊びを繰り返している日々です。

こんなんでいいのかなーってぐらい最近色々うまく回っている気がするのですが、一抹の不安がある。
今の自分の行動がすべて自分の将来のための布石になっているかということ。
自分の描いた理想の未来に少しでも近づけているのか。歩み出すその一歩は他人に流されてやしないか。

物事には優先順位があって、その一番上に絶対にやらなくちゃいけないことがある。それが今は「大学を卒業すること」。そのためには卒論を書かなければいけないこと。
これは絶対にやらなければならないこと。

ただ裏を返すと、本当にやらなければならないことってそれしかない。それが必要最小限であり、それ以外のことは何もしなくていい。むしろ4回生になった今、他の余計なことはしないほうがいいかもしれないぐらい。

でもなんかこーいうのって一生続く不安かもしれない。おそらく社会人になっても、「毎日遅刻せず出社する」とかそーいう絶対にやらなくちゃいけないことっていうのはあるんだと思う。それはきっと自分が生きていくための必要条件なんだと思うんだけど、やっぱりそれだけじゃ現状維持のままになるんだろうなと思う。現状維持でもいいんだけど、もっとこう自分自身、自分の周りをより良くしていくことが楽しいんじゃないかと思うわけで、そのためにはある程度のリスクっていうものをとらなくちゃいけないって思った。

そりゃあ今自分にとって本当にやらなければならないことって「大学を卒業すること」ぐらいしかない。ならば、もう全部バイトもやめて夢とかも考えるのやめて、本当に卒業するためだけに動けばいい。授業だってちゃんと出て出席とって、夜は早く寝て、たまに研究室行ってダベって、それなりに楽しんで、でもその人間関係っていうのはそれなりにして、飲み会に参加するのも次の日のことを考えて金曜か土曜だけにして、家が大好きで家には7時に帰ってご飯食べつつドラマ見て12時には寝てっていうそんな普通のことをすればいいんだ。卒業するためだけに動けばいい。誰も文句も言わないし、反感も買うことはない。

でもそれって【本当に】楽しいのか?

おれはおれの人生しか歩んだことないし歩めないから、断定はできないけど、もう一度よく考えてみろよって思う。それで楽しいって言われたら何も言えねぇけど。。。
そんでよく考えた結果、それじゃ嫌だとか、なんかありきたりな毎日とか、本当は自分はこうなりたい!とか思うなら、

もっとリスク取れよ!!!って思う。
楽しいことするためには、リスクとらなくちゃって、金だけで買える娯楽なんて本当の楽しさじゃないって!
誰かに寄りかかってるうちは本当に楽しいことを知らないんじゃないかって思っちゃう。きっとその人が楽しいって思ってることっていうのも他の誰かが作った楽しさの一部でしかないんだろうなって思っちゃう。

うん、なんかそれが寂しいっていうかそれを分かってもらえないのが辛い。

もうなんかここまで勝手に自分の妄想だけで日記を書いている気分になってきたけど、なんかそんな風に思うことが多い。
久々の日記はここまで。

Twitterにブログ。ブログにTwitter。

ここ最近ブログ書いていなかった。
その原因は間違い無くTwitter。
いろいろ考えることはあるけど、なかなかブログに書こうとは思わない。これは良くない。思考ツールとしてはTwitterよりもブログのほうが圧倒的に素晴らしい。しかし利便性が高いがゆえにTwitterを使ってしまっている(´;ω;`)
Twitterの内容もある程度ブログでまとめることにする。驚愕の量だった。その量およそ6000字。駄文散文失礼。数字は日づけ。
4.17 知ってしまった世界
 オナニーした者がもうオナニーを知らないまま生きていくことが出来ないのと同様に、幸せについて考えることを知ってしまった者は、もう知らないには戻れない。悩みながらも考えぬきつつそれが正しいと信じて生きていくしかない。
5.3 自分にとって最高の生き方とは?
 ソクラテスは言った。『善く生きろ』と。自分が正しいと思ったことを貫き通す。それが善く生きることらしい。確かにわからんでもない。どのようにして生きるかなんて誰でも少なからず考える。
 その1つの指標として夢というものをもつ。夢とは、大人になればなるほど現実に押しつぶされて、夢を持たなくなる。多くはサラリーマン。就活なんてその最たる例でみんなサラリーマンになるためにES書いたりして頑張る。就活やる時点で夢なんて持ってるやつなんてほぼゼロに近い。ただ夢を持ってたほうが良いと言うつもりもない。夢なんてなくても良いと思ってる。むしろないほうが良いかもしれない。夢を持つことは、あまりにもリスクが高すぎる場合が多い。それに対し、大学でてリーマンになるのが一番リスクが低い。
 ここで考えなくちゃいけないのは、どちらのほうが幸せかということ。どっちが納得できるか。よく言う、貧乏でも夢を追ったほうが良いのか。それとも、仕事が趣味にならなくてもある程度の収入を得る仕事につく。どっちが幸せか。金と幸せは必ずしも一致しない。ぼくは、きっと一番大切なことは常に自分の夢ややりたいことを探し続けることじゃないかと思っている。もちろん夢が見つかったなら、それを追って見るのも良い。もし、なくても探し続けることが自分の幸せになるんじゃないかと。これは仕事だけではない。
 そしてまたぼくが思うのは、人に流されるんじゃなく、自分の中でありとあらゆる選択の可能性を考えた上で、自分が良いと思える道を選んだほうが良いということ。こーいうことを考えていくと多くの人の答えとして幸せな家庭を築くことって言う人が多いと思う。なんつーかこれは資本主義の弊害というか趣味を仕事にできない人間にはありがちのことじゃないかと。ある意味流されるっていう部分としょうがない部分もあるけど、本当に死ぬほど悩んで考えたんかとか思っちゃう。まぁそれも幸せだろうけど。恋愛は人生を善く生きるための最も効率の良い手段。誰でも手軽にできる。かつかなり面白い。世間からも認められている。この手段を使った方が良いのか。つまりそれは独身のことだけど。やっぱり使ったほうがいいんじゃね?っていう。でもそれをやると恋愛に満足してしまうがゆえに、夢なんてどーでもよくなってしまって適当な『幸せな家庭を築く』になっちゃうよね。それを心の底からそう思えてるのかもしれないが、もっとなんかあるじゃんって思う。お前の小さい頃から夢は幸せな家庭を築くことだったのかと。もっとあるじゃん。それをちゃんと考えようぜっていう話っすよ。
 適当に頑張るじゃやっぱりダメだって。努力することが幸せなんだっていうやつは絶対自分に嘘をついてる。もっと本気で最後まで考えろって思う。夢探しに時間かかってもええねん。いろんな事して分かることも多いかもしれないけど自分の中の根本的な興味はそう変わらんて。それをとにかく頑張るとか言って適当にやるんじゃねーよ。そこが一番大事だろ。全力で探せよ。頑張ってる自分に酔ってんじゃねーよ。人見下してんじゃねーよ。結局何が言いたいかって、お前の幸せは本当にそれか?お前は明日死ぬとしても、本当に後悔のないように生きれてるのか?ってこと。以上。
5.5 Twitterが残した産物
 沈黙は金。言わぬが花。ということわざがあるように、昔から何事も黙って実行することが美徳とされる文化が日本にはある。しかしながらTwitterはまさにその文化を真っ向否定するようなある種の文化を築いている。なぜこんなにも中高生をはじめとする学生または社会人に広まっているのか。Twitterではどんなことが呟かれているのか。
 自分が感じるものでは、おはよう、おやすみ、~なうというものが多い。そしてそれに対するリプライ。会話等々。ここでまた1つ疑問が。なぜメールではなくTwitterなのか。Twitterを始めとするSNSではそのネットのオープンな特性ゆえ出会い系サイトのような使われ方をしていることが問題になっている。男はいいが、女からすれば面倒極まりないとも思うのだがそうでもないということ実際に使ってみて感じる。
 ここで重要なキーワードとなるのが「かまってちゃん」の存在。私は、誰しも少なからずかまってちゃんだという考えだが、Twitterは非同期リアルタイムなゆえにいつでも誰でも人が存在する。自分のツイートをいつ誰が見ていてもおかしくはないということ。それに多くの人がハマっている。いつでも誰かいてかまってもらえる。それは誰だって良い。むしろ日常で接せず、自分のことを知らない人に話を聞いてもらいたいかもしれない。昔のような沈黙は金の時代は終わったのだ。日本人はもっと自分を認めてもらいたいっていう想いに溢れている。
 ただ前にも述べたようにそれが偏ってしまってはいけない。自由に公の場で発言することができる時代になったが、それを自分の快楽のためだけに利用すると泥沼にハマる。そうではなく、セルフマネジメントの力がこれから求められてきているではないか。
 あまりにも、Twitterという媒体が世にでるのは早すぎた。しっかりとなぜ自分はツイートをするのかを考えるべき。それはかまってほしいという理由でも良い。最低でもそれをわかった上で利用するべきだと思った。人間はもしかしたらもう成長しなくても良いのかもしれない。今のままでも充分楽しい。これ以上なにを求める。技術の進歩なんて金がかかるだけじゃないのか。それとも経済的になにか素晴らしい影響があるのか?努力があればもっと好景気で過ごしやすくなる気がする。技術の進歩って一体誰が求めてんだ?
5.7 信じたい世界
 やっぱり悩んで悩んで、何回も結論出して、それでも悩んで悩み抜いたやつが幸せになって欲しいだろ。そんな世界であって欲しいだろ。だからこそ、自分はどんな時も後悔しないように一生懸命考えるし、そのために行動してる。
 ただ多くの人は違うらしい。自分が良ければ良い。今が楽しければ良い。そんなんでいいのか?それともおれが間違ってるのか?どこが間違ってるのか言って欲しいわ。他人に論破されたいわ。本気で悩んだやつが幸せになると信じ続けながらも、自分の中でいろんな結論を出していくしかないだろ。そうじゃないとやってらんねーよ。
5.7 嘆き、叫び
 所詮言葉なんて使い捨てで、誰にも留められず誰の記憶にも残らない。人間の記憶はあまりにも曖昧で、どれが真実なのかなんて分からない。適当言ったもん勝ちっていうのはやっぱり正解で、つぶやきなんてどこまでいってもつぶやきに過ぎない。あまりにも陳腐。それに頼っている人間はもっと陳腐な存在。頭が良いってなんなんだろうな。おれの中で単純に記憶力が良い奴が頭良いと思ってるんだが、世の中には自分で考える力があるやつとか生きていく力がある奴のことを頭良いと言ってたりする。そんなん高学歴の人たちへの嫉妬心以外の何者でもないと思うんだがどうなんだろうか。
 酒と煙草と女で最強だろ。それ以上に望むものなんて本当にないかもしれない。
食欲、睡眠欲、性欲。この3つが満たされれば幸せなのか?金さえあればこの3つなんて簡単に実現出来んだろ。思ったより人生簡単に攻略できそうだ。
 人生に正解はない。あほか、だからって全てが正解ってこともねーんだよ。そんなん人それぞれだろ。あほか、だからお前がどう思ってんのか聞いてんだよ。受け売りの言葉に頼って分かった気でいるんじゃねーよ。自分で考えろ。自分の言葉で語れや。考えれば考えただけ前に進むって。
5.11 欲望に素直に、もっと純粋に
 良い世界だ。可愛いものは可愛いし、好きなことしたいと思えば、好きなことできる。美しいと言えるあなたの心が美しい。だからこそそんな風に世界は動いてる。人生は平等じゃないとかそんなレベルの話じゃない。不平等だから良い。不平等だからこそ、それを補うために努力するし人類は進歩していく。やりたいことをやるんじゃなくて、それは必然だったんだ。そう思ったら、なにしても良いじゃんとか思った。
 やっぱりAVの世界は奥が深いな。人間の欲望を如実に表している。こんな何が真実か分からない嘘だらけの世界で、そこだけは絶対的に疑いようのない真理がある。金と欲望が蠢く世界。その中で創られるべくして創られた世界がAVの世界だわ。あやふやなものに騙されんな。素直に前だけ見ればいいんだ。悩んで悩んで苦しんで、それでも悩み続けたやつが、やっぱり最後には幸せになってほしいじゃんか。てかそんな世界であってほしいじゃんか。だからこそ、悩むなら本気で悩め。それが一生懸命生きるってことだろ。
5.11 ツンデレ
 よくできてんなぁツンデレって。男は女の子にツンツンされるともっとその子のことが知りたくなっちゃう→さらにツンツン→男むかつく→女実は好きだったんだ→コロリ。でもその逆はないな。男より女のほうがサバサバしてるから最初の段階でツンツン男は嫌われる。その点やはりツンデレの女は多くの男から声かけられるぶんだけ強い。あーしかもかつ構ってちゃんだと最強じゃんか。ツンデレ×構ってちゃん=最強だわ。なんだこれ、自分で罠仕掛けて仕留めるなんてハンターじゃんか。ハンターハンターじゃんか。ハンター試験のときのヒソカ並みに最強じゃんか。ぱねーこえー。
5.13 思考せよ
 まじで女が言う「うるさい」ほどうるさいもんはない。年上がいう「また君の歳じゃわかんないだろうな」っていうのと同様に、その発言の時点で論点のすり替えが行われている。つまり思考の放棄。これだから女はバカって言われんねん。だから大人は子供に尊敬されないねん。どんなときも思考を続けろ。
5.14 意識高い学生
 インプットなんて誰でもできる。本好きな奴はいくらでもいる。重要なのは自分で咀嚼し、新しいものをクリエイトする力だ。処理すること自体は問題じゃない。考えるっていうのはそーいう事だ。常に生み出すことを意識しろ。古きを温めて新しきを知るとはまさにこのことだ。
5.15 だがそれが良い
 おれ甘いなぁ~絶対女の子に甘い。女はバカだと思っているがゆえにどーしても甘くなってしまっている気がする。そーいう意味で男のほうが対等にいれる気がする。どうしたもんかな。可愛い子には旅をさせろってやつだな。甘やかすのは優しさでも愛情でもなんでもない、怠惰だ。ただじっと見守るのも楽じゃない。
5.18 要は考えるか考えないか
 他人を批判することに対して、何も感じなくなったら終わりだろ。どこまでいっても相手のことを考えられないやつはやっぱり頭悪いと言わざる終えない。っていう批判。本当に自分のことは棚にあげて、話をするやつが多い。おれのことなんかどーでもいいだろ。自分でなんかしろや。つまらん人間ほど人のことをとやかく言う。胸くそ悪い。
5.27 純粋とは
 やはり童貞、処女=純粋っていうのは違う。貞操観念持ってるやつっていうのはもうその時点で偏見を持っている。純粋っていうのは偏見を持っていないまっさらな状態のこと。おれは純粋な気持ちで女の子とエロいことしたい。つまり、よくツイッターで純粋とかいってる奴がいるが、おれが一番純粋だわ。
5.28 OpenCLのジレンマ
 やっぱりOpenCLは要らないのかもしれない。ヘテロジニアスな環境なんて結局資本主義の産物みたいなもので全部政府がやっていれば問題なかった。それをカバーするためにOpenCLって言語があるだけに過ぎないかもしれない。いやでも企業競争があったからこれだけパソコンおよびHPCっていうものが発展してきたのかもしれない。一概にOpenCLはよくないとも言えない。ただ思ったより普及はしていない。やっぱCUDAかCUDA。
5.30 頭の中のメモ
 ネットの溜まり場。かまってちゃん。伴侶。Skype。line。生放送。アルファ。芸能人。JK。出会い厨。進学校。馴れ合い。暇人。廃人。2ちゃんねる。プログラマ。アプリ開発。爆撃。リア充。OpenCL。GPU。ヘトロジニアス。やりたいこと。ニート。院生。社会人。数学者。タイムライン。読書。意識高い。起業。Campus。美大。将来の夢。花屋。パン屋。可愛い。才能。努力。ゴミちゃん。かまわんよ。ビジネス。本当の価値。ポートフォリオ。投信。もの作り。Twitter。SNS。家族。テレビ離れ。日本。金。環境。教育。自己中。人それぞれ。批判。意見文。
6.14 刑事みたいな
 真実だけ追い求めていればきっといつかは、報われる。些細なことでも少しでも自分の想いがあればまた考えて、その答えを貫くことを明日に繋ぎ続けていけばきっと。
6.16 リーガルハイ感想
 今週のリーガルハイの最後の堺雅人の大演説は何回も聞いてもすごい。半端じゃない。説得っていうのは、論理的で見たくないものまで見なければならないゆえに残酷だ。すべてを求めることは幸せとは限らない。ただ誇りと信念を貫らぬき通したいならば、深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。
 だからこそ考え続けなければならない。馴れ合いで納得していてはダメなんだ。意味のわからない言葉に躍らされ分かった気になってはいけない。答えがないとわかっていても、真実を探し続けなければならない。それが戦うことであり、生きるってことだ。生半可な覚悟じゃたえられんよ。逃げだすな。
6.11 選択の連続、麻雀みたい
 幸せの先にあるのは、死のみ。嫉妬なんて自己中以外の何物でもない。自分以外の存在を支配することなんてできないし、するべきでもない。それは自己破壊だ。自分の幸せは自分しか決められないという当たり前のこと。多くはそれに気付いていない。現実を見ようとしない。決断は自分しかできないんだよ。
6.17 世の中は金が全てだ
 『世の中は金が全てだ』という言葉は「金が全てというのは、金で幸せを買える」って意味ではない。金っていうのは唯一無二の客観的指標。頑張った自分を称えてくれるのが、他人から称賛の証としての『お金』だ。そしてやっと自己満足でなくなる。『世の中(社会)は金が全て(結果)』なんだ。
6.19 金と愛
 金を積めばで慰めはいくらでも買える。ただそれで心が満たされることはない。そして、それが分かっていても人は安物のプレゼントに心動かされる。モノは金ではなく、心がこもったものだと思い込むことが容易いからだ。やはり無償の愛こそ必要なのではないか。本当の愛は金では買えぬ。
 相手の言うことを繰り返すだけで、安心信頼が勝ち取れるなら、そんなんロボットでもさせとけばいいわ。
6.20 人間=関数
 つまるところ人も関数みたいなものだ。人生様々な困難にぶち当たる。その問題に対してなんかしらの回答をだし続ける。正解も解答もない。ただひたすら人生の回答をだし続ける。それ以上でもそれ以下でもない。自分の答えを出せないのなら、楽しくないだろ。自分にとって最高の答えをだし続けるのみだ。そして、その答えあわせをしてくれるのが金だ。
6.20 とっくに絶望してるよ
 考えるのは確かにしんどいよ。辛いし苦しい。絶望的な悲しみが込み上げる。それでも分からんことがあったら悩み続ける。こわいじゃん。疑問を持ちつづけないとアイデンティティが崩壊しそうになるんだよ。自分の意見を持つっていうのはそういうことじゃないか。疑問に対するアンサーの積み重ねが、オリジナルを創る。オリジナルでいたいじゃない。

世界

悩んで悩んで苦しんで、それでも悩み続けたやつが、やっぱり最後には幸せになってほしいじゃんか。てかそんな世界であってほしいじゃんか。だからこそ、悩むなら本気で悩め。それが一生懸命生きるってことだろ。

なんとかの刻

しょーもな。mixiとかTwitterとか色々生きづらい世の中だわ。生きづらいからと言って今のこの情報社会に適応していかないとそれはまた生きづらいわけで、それも含めて生きづらい。
自分のやろうとしていたことを諦めた時、自分の信念を曲げた時、すべての身の回りの事柄が好転していったらどうする。どうするべきか。流れに身を任せて、自分の夢とか本当の想いなんて忘れたほうがいいのか?
いつか思い出して後悔なんてないよな。思い出したとしてもそれを後悔だと思わないような思考回路になってるよな?そんなある意味冒険だと思えば踏み出せないこともない。
これが大人になるってことなんだろうか。大人になるってすごく虚しいんだな。悲しいし虚しい。自分が自分でなくなるような、そんな気がする。そりゃみんな自殺するわ。生きてる意味なくね?とか思っちゃうもん。やりたいこともない、あるのはプライドだけとか思われるかもしれんが、せめて自分なりの正しい答えは持ってたいじゃんか。自分オリジナルの答えを持ってたいじゃんか。
でもそんなもんなのかもな。ぼくがわがままなだけかもしれん。世の中には餓死する人もいるのに、なに甘えたこといってんだ、そんくらい理解しろっちゅーことですかね。
確かに正論。他人と比較するのも納得するのも大切かもな。その考え自体を心のそこから理解、納得しないやつが死ぬのかもな。本当かよ。
仮にすべてその通りだとしたら、そんな社会の中で自分のためになんか生きるより、人のために生きるのが楽だ。そんな枠組みの中でまた自分なりの正解をこじつけ理論みたいに探して、あたかもそれが正解のように自分を思い込ませることよりも、他人のためにとかっていう理由の方がシンプルで楽だ。
うまくバランスとるのが相変わらず下手だ。小さい頃に母親に,「お前はいろいろ人生損してる」とか言われたのを思い出す。確かに、いろんなところを遠回りして生きてきてる。ショートカットとかしたことない。それでも自分はそれでいいと思ってた。それが正解だと信じて、やってきたけど、さすがにだめっすわ。乗りきれる自信がないわ。今まで散々「お前はなんにも分かってないな、まぁそのうちわかるさ」とか非難されても、なんとか頑張ってきたけど、それが今だわ。完全に分からされてるわ。今のぼくには反論できない。すべて流れに身を任せ受け入れることしか出来ない。
それとも全部ブッチしようか。
とりあえず就活も人間関係も何もかもブッチして、院進してプラス2年考えてみるか。
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言葉の行方

言葉は人とコミュニケーションのためにつかわれるものならば、その言葉の行方は相手の胸の中であろう。
しかしながら、ひとりごととは誰に対しての言葉か。テレビ見ててチョーウケルとか言ったとしてそれはどこに行くんだ?ひとり部屋の隅でさみしいと呟いたりしてその言葉はどこに行くんだろうか。
漆黒。
Twitter上で生まれた言葉、吐かれた言葉はどこか真っ暗闇に葬られている気がする。
誰に向けての言葉なんだ、他人?自分?
Twitterに書くような内容をただのノートに書くだけでは満足できないんだろう。
何が人をそうさせる。言葉を吐くという行為は、単なる自己主張か?現代の人々はそれを認めあった上で、フォローしたりされたりしあっているのか?自己主張されても良い相手だけを求め、フォローする。そんな関係が今世の人々が求めてることなのか。インターネットという文明の果てというものはそんなものなのか。人々が手軽に自己主張できるってことなのか?
自己主張が悪いというわけでもないが、人間同士の関わり合いはそんなものであってほしくないと思う。
だからインターネットの関係は薄いとか言われんねん。もっとなんかこう人々にとって有益なインターネットの活用法があるはず。ずっと前にも書いたけど、Twitterは、やはりブログを越えられないではないかと思った。
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今年の反省

今年は、まさに細木数子の占いとうり実りの年だったと思う。
なんつーか、自分の中で浪人したときが一つの人生の節目でそこから第二の人生が始まったとか訳のわからないたいそうなことを感じているのだが、今年は人生においてその浪人時代からの一つの序章が終わった年なんじゃないかと思います。
えー今年の世相の漢字は「絆」だったっけな。
今年の自分の漢字は「成」。
うーん、意味があってないような気もするが、成熟しきった年であるとも思うし、ある意味21歳で成人したなー感じる年でもあった。それに自分の中での考えもある程度完成された年だったとも思う。そして、これからの自分の成長の願いも込めて、今年の自分の漢字は「成」!
悪くない。
あと今年も残すところ8日?
やることやって来年に向けてできることをする。来年はきっと何かが始動する年になるはず。そのためにできることをやる。というより始動する年にしなければならない。
わかってるならやれや!
また、近々来年の抱負も書きます。
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病むとは

なんかよく「病んでいる」と最近聞くようになった気がする。
多くは友達が「なんか今病んでる、、、」みたいな感じで聞くことが多い。
病むとはなんなんだろうか。
や・む【病む】
[動マ五(四)]
1 病気になる。わずらう。「久しく―・んでいる」
2 傷などが痛む。
「私も、何様なに―・んだろうと思ってね」〈小杉天外・魔風恋風〉
3 病気におかされる。「胸を―・む」「リューマチを―・む」
4 心をなやます。心配する。「ささいなことを気に―・む」
また、これと似たように使われる言葉に「うつ」という言葉もある。おそらく憂鬱からきてるのかなと思っていたが「うつ病」という病気があるらしい。
うつ病(うつびょう、鬱病、欝病)とは、気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥(しょうそう)、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患である。
気分障害なるほど。ふむ。
なんで最近になってこれほど言われてるのだろうか。
確かに、不景気の煽りや東日本大震災などがあってその影響もあるのかもしれないが、
やっぱりどうしても、ぼくは情報系の人間であるからかネットの影響が大きいと考えてしまう。
SNSが人間社会に与えた影響は大きい。Twitterを開けばタイムラインが流れていて、いつでも他人とつながっていられる。そんな感覚があるんだと思う。
でもそれは、また寂しさも感じさせてしまうものなんだろう。
いつでもつながっていられるからこそ、つながっていないと不安になる。
そんな不安が「病む」や「うつ」ってものを引きずりだしているような気がする。
だからなんだって話ではあるんだが、、、
ぼくは、あまりそんな経験がない。なぜそんな状態になるのかが分からない。もしかしたら自分がおかしいのかとすら思ってしまうことがある。
悩むことはあっても、無気力というかありないくらい人生に絶望というか、とにかく「あー自分いま病んでるわー」と思ったことはない。
友達いわく、病んでる時は本当に辛いらしい。辛くていま自分が病んでるとすら思わず、後になってあの時は病んでたとか思うらしい。で、それがあってから今病みぎみとかが分かるようになったと。
とにかくなにもかも嫌になってしんどいらしい。
いろんな人に話を聞くと、やはり多くは人間関係の問題が多い。というかむしろそれしかないくらい。
確かに、ぼく自身「自分はもしかしたら友達だと思っていた人も向こうは友達だと思ってないかもしれない、自分はもしかしたらすごく孤独なのかも、、、」と思うことはある。
でも、なんというかそんなときは「孤独でもまぁいいか、孤独なら孤独なりに人生楽しめるっしょ」と開き直って考えているような気がする。
これは楽観的と言ってしまえばそれまでだが、開き直りもある意味大切なのかもしれない。
一番良くないのは、そんな不安に駆られたときに他のことをして気を紛らわせて、その悩みから逃げてしまうことだと思う。
それは安心安堵は一時的なものでしかなく根本的な解決にはならない。
これだけSNSやネットが普及して、リアルでの人付き合いに疲れて、ネットに行ったら誰かしらいて、気が紛れたとしてもそれはきっと解決にはなってないとぼくは思う。
確かにそれがきっかけで立ち直れることあるかもしれない。
でもそれが一時的なものでしかないということを理解してなかったら「おれはネットで生きるんだー」とか「ネットには友達たくさんいるしー」「ネットのほうが楽しいしー」ってなってしまう。
それはきっと良くない。
なんか極端なことばかり言ってしまった気もするけど、ネットの使い方が本当に最近難しくなってきたと思う。
本当に自分がこれから就活して、上手く就職できたとして、もしネット関係の仕事につけたと考えるとそれが本当に人のためになっているのか、すごく不安でたまらない。
そんなことを思いつつも、ぼくは月曜日までにはやく宿題を終わらせなければならない。かなりやばい。

情報社会

最近ネットでの社会問題が多い。
ツイッターでカンニングしたとか飲酒運転したとか呟いて捕まる人とかがいるらしい。本当か?と思う反面、まぁそーいう人もいるかもなと思った。
ぼくは、大学で情報系を専攻していることもあり、その辺の情報リテラシーについて人よりは持っていると思っている。
一昔前にも前略プロフというものが高校生の間で流行って個人情報の流出について問題になった。おそらくそんな歴史もあっていまは多くの人が多少個人情報について気を使っているんだろう。
しかしながら、mixiやGREEやFacebookなどのSNSなどでも個人情報を晒してる人も多くいる。個人情報についてはある程度なら、ぼく自身は公開してもいいと思っている。実際公開することによってより楽しくSNSを使うこともできることもあると思うし、個人情報を晒したとしてもリスクをしっかり理解していればそこまで被害というものもないと思う。
きっと本来はそこまで理解した上でSNSというもの利用しなければならない。
そもそもなんでこんなにもSNSが流行ったのだろうか。
 調べてみるとSNSとは、「社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービスの事である」とある。なるほど。
 結論から言うと、流行っている理由というのは、現代人は人類史上で一番他者とのコミュニケーションを求めているからだと思う。それはもともと人間が持っていた性質なのか、ネットが普及したことによって根付いた性質なのかはわからないが、一人では寂しいという気持ちはわからんでもない。コミュニケーションを求めているというより、他者に自分の存在を知ってほしいとか自分を認めて欲しいと思っていると言ったほうが正確かもしれない。
 であるからして、テレビなどの一方的なメディアではなく、SNSのような自分で情報を発信できるツールに傾いていったんだろうと納得が行く。
 それと同様に、匿名掲示板の2chやニコニコ動画も同じ理由で流行ったんだろう。人々はおそらく多くの人が想像している以上にコミュニケーショに飢えている。誰しも自分の存在を認めて欲しいと思っている。自分だけでは不安なんだろう。
 もはや昔の人がどのようにして生活していたのかがわからない。それこそテレビとか家族とかゲームとか読書とかで余暇を過ごしていたんだろう。
 今はネットさえあれば人とコミュニケーションが取れるわけだ。それに輪をかけるようにSkypeという便利なツールも出てきた。もはやパソコンひとつでいろんな人とお話出来るわけだ。現実社会で、もし友だちをうまくいかないことがあったとして、それと取って代わるだけのところまでネットは着ているのかもしれない。
 近年の結婚する人が減ってきているのも一人でもネットのおがけでそれほど寂しいことないのも原因の一つなのかもしれない。
どうなんだろうか。
 決してSNSとかニコ動とかSkypeなどのネットに依存すること自体は悪くなはいとは思う。
家でPS3とか一人でゲームしてるのと変わらない。むしろ人とコミュニケーションとろうとしてるだけネットのほうが良いかもしれない。
 しかしながらよく言うネット弁慶とやらになってしまうとやはり良くないことだろう。リアルとネットのバランスはやはり、リアル>ネットでなければならないのだと思う。リアルを充実させるためのツールとしてネットというのが一番正しい気がする。
 やはり、生きていくためには食っていかなければならない。そのためには、やはりリアルのコミュニティに所属して働かなければならない。そうなるとやはりそのコミュニティで楽しくやるのが一番の理想ではないだろうか。だからリアル>ネットでなければならない。
 いやもし、ネットだけで儲かる仕事があったとする。株トレーダーでもなんでもいいが、そうなったときリアルに重きを置く理由はないかもしれない。ふむ。
いわゆるこれが理屈じゃないってやつなのかもしれない。だって生きてる時間のほとんどはパソコンの前にいたっていう人生はやはりどう考えてもつまらないと思う。
もし仮に今宝くじでもなんでもいいけど3億手にしたとしたらどうするだろうか。そしたらやはりそれでも多くの人はネットをやるだろうか。
豪遊するっていったらやはり外に遊びに行くだろう。
もしかしたらネットをやる理由ってもっとシンプルなのかもしれない。
暇だなーなんつってタダだし暇つぶしにネトゲでもやるかーとかそんなもん。
それでなんか知らんが気が狂って周りが見えなくなってネット依存症とかになるのか。
みんなリアルのほうが楽しいって実はわかってるのか。だけど暇だからとかいう理由でネットとかしょーもないなーと思いながらもネットで遊んでるのか。
なるほど解決。
で結局この記事でなにが言いたかったってネットよりもやっぱりリアルのほうが楽しいよねって話。だから気が狂ってツイッターとかに変なこと書かないようにしようね。ツイッターっていうのもあくまでもリアルを楽しくするためのツールということを忘れないようにしようということ。