今世間はAKB48ブームですね。
ぼくもAKBが好きですが、CDやらポスターやらはなんにも持っていません。唯一持っていると言えばセブンイレブンでお菓子を買って貰ったクリスマス仕様のカードぐらいです。
世界は広いもので同じCDを何十枚も買う熱烈ファンがいるらしい。
なぜ何十枚も買うかというと自分が推しているメンバーと握手するための券をゲットするためだとか。
なるほど。でもその気持ちはわからんでもないです。僕も昔からアイドルが好きでよくあったんですが、
人間なんでものめり込んでくるとフィルターがかかってきて、なんでも都合良く解釈してしまうもんですね。ぼくも中学時代、超絶に若槻千夏にハマっててよく言っていたのが『若槻千夏は絶対性格良い論』に始まり『若槻千夏はオナラしない論』『若槻千夏はウンコしない論』『若槻千夏は処女論』『若槻千夏は乳首ピンク論』『若槻千夏は整形してない論』などのことを本気で思って、周りの友達に熱弁していました。
つまりアイドルは完璧な存在という既成概念があるがゆえに周りが見えなくなることもあるわけです。
ですがぼくも大人になるにつれて冷静になり周りが見えてきましたが、
『若槻千夏は絶対性格良い論』『若槻千夏は処女論』『若槻千夏は乳首ピンク論』『若槻千夏は整形してない論』というのは変わらず本気でそう思っていたんですが、
変わったのが
『若槻千夏のオナラはしない論または若槻千夏のオナラは香水論』
『若槻千夏はウンコしない論または若槻千夏のウンコは食べれる論』
ということ。
百歩譲ったとして仮に若槻千夏がウンコしたとしても、そのウンコは食べれると思っていたわけです。
さすがに今はそんな処女であるとかウンコしないとかは思わないようになりました。
最近はむしろどこを見ても良いように思います。
たとえ処女じゃなかったとしても逆にその子の得意技や四十八手が見たいと、
たとえ整形していたとしても逆にそれだけ努力したんだ努力家だなと、
たとえ乳首が黒かったとしてもそのリスクを背負ってまでグラビアやっているんだなと、
たとえ性格が悪かったとしても、逆にそのツンデレ感いいかもしれないと、
そう思うようになりました。
これみておそらく読んでいる人は結局フィルターがかかっているじゃないか!というかも知れませんが、そこまでくるともう話はアイドルに留まらず、哲学的な話になってきて、
逆に問いたい「世の中に本当に心の底から真っ黒な人はいると思いますか?」と。
仮にいたとしても、そんな悪い人がこのアイドル戦国時代に表舞台に出てこれないんじゃないかと。
またこの話は、AV女優や風俗嬢肯定論にも繋がってくるけど、長くなるので割愛。
詰まるところ、ぼくが言いたいのは男女問わずアイドルって素晴らしい職業だということです。
月別アーカイブ: 2011年2月
人生行き詰まりの刻
いや、参ったね。
特に最近面白いことがない。
大学生の長期休暇は暇だ。時間はあるけどお金はない。
この時期になるとやはり大学受験のときを思い出す。あの時はあんなに大学のキャンパスがキラキラと輝いていて、歩いてる大学生もみんな頭良さそうでかつ君に届けの風早君ばりに爽やかに見えたものだが、理想と現実のギャップはおおきかった。
大学生になったからといって何も変わらん。あえて変わったと言えば少し根暗になったかもしれない。
って書いてるだけで気分が落ちてくるわ!(笑)
って少し自分に突っ込んでみるもこのようにすぐ冷静になってしまう。
はてはて。明日でオナ禁10日目。
2011/02/15
今日の天候は晴天。
いつもならばあちゃんが9時半には起こしてくるのだが、今日は10時半に起こされた。
そのまま朝食と昼食を兼ねたご飯を食べ、2時間ほど昼寝。ユニクロの友達から電話。その後、なんとなく身支度を整え、新しく買ったカメラを首に下げ、2時間ほど散歩。その間にスロを打つが9k負ける。家に帰り、また2時間ほど昼寝。夕ご飯のカレーを食べ、風呂に入り、12時就寝。
ブロガーの想い
昨日のブログは、mixiにもコピペしたらウケるとコメントがあったり、こっちでも考え方がおもしろいっていうコメントを頂いたりで好評だった。ありがとうございます、嬉しかったです。
しかしながら、非常に申し訳なく歯痒いが、面白いブログなどそう毎日書けるものではない(笑)
おそらく自然と自分の中で、自分向けと外向けを意識して書き分けていると思った。
昨日のはmixiにも載っけるということで完全に外向けでウケを頂きたいと意識しているところがある。
しかしほとんどの記事は自分向けに書いているんだと思う。自分の頭ん中を整理したり、考えを進めるため思考しつつ書いている。この記事もおそらく自分向け。
そう考えると自分向け記事は他の人が見てもつまらないのかもしれん(笑)
まぁ自分向けの記事は自分のために書いているからいいんです。それでいいんです。
理想は、ぼくが書く度々に見てくれなくても、たまに覗いて面白そうと思う記事だけ読んで気分が良くなったらコメントするっていうようなブログでありたいと思っています。
芸能人みたいに一つの記事に何千ものコメントがある派手なブログも良いと思います。
でもぼくはこのブログを、仕事終わりで家に帰ってきてビールでも飲みながら「ぷは-お、更新してるぞ。今日の記事は面白そうだな-」とかね!、休日の昼下がりに暖かいレモンティーとケーキなんかを食べながら「あら~新しく記事あがってるわ~今日のも面白そうだわ~コメントしちゃおうかしら」っていう感じの暖かいブログにしたいんですよ。
赤ちゃんを見ただけて微笑んでしまうように、このブログを読むだけで心が暖かくなるようなそんなブログ。
高3の夏から書き始めて、浪人時代、大学1年2年を経て、今でちょうど3年10ヶ月くらいかな。これからもどうぞお付き合いよろしくお願いします。
でも長澤まさみと榮倉奈々は好き。
今日はバレンタインだし、久しぶりに日記を書こうって思って朝からわくわくそわそわしていたんですが、誰からもチョコが貰えず、あまりのショックでもう今日は日記書かない
と思っていたんですが、
チョコを貰えなかったショックでブログ書かないような心の狭い男だからチョコ貰えないじゃないかと思われるのもシャクなので書きましょう。
と思っていたんですが、
今日はずっと散歩しながらカメラで街並みをとったりして、やっぱり新しいから使い方とか分かんなくていろいろいじったりしてただけの1日だったんで特に書くこともないっていう。
まぁバレンタインだからといって何か特別なことはないですね。結局はお菓子メーカーが庶民からお金を貪るためにできた日で、幸せになれる日ではないわけですよ。確かにチョコ貰って幸せになって゚+。(*′∇`)。+゚っていう人はいるかもしれません。でもこのイベントができたことにより、国民いや世界中の人の幸せの総量は減ってるんじゃないかと思うわけですよ。今総理が最小不幸社会の実現って唱えてますけど、むしろこのバレンタインデーで逆に不幸が増えちゃってるんじゃないかと。そりゃ欲しいものなら幸せは増えるかもしれないけど、所詮チョコ。
チョコを貰える人は大抵彼女がいる人か夫婦ぐらいですよ。でもそんな人たちは貰っても毎年のことかとあんまり有難らない。少なからず年を重ねるにつれて有難さは減っているはず。でもこれは彼氏が悪いとかじゃなく、人間は順応しちゃう生き物だからしょうがない。でも結局チョコにお金を使ったわりに幸せは増えない。
あとはいわゆる義理チョコ。これが一番良くない。何も生まない。むしろ義理チョコを貰った人は義理か~と本命を貰っている人と比べちゃって悲しくなる。
最近は友チョコっていうのがあるけど、バレンタインに限らず友達にチョコくらいって言い方が良くないかもしれんけど、普通にあげますよ。意味分からん。
それでなんにも貰えない人つまりぼくみたいな人が、一番悲しくなるっていう構図。
確かにでも片想いの女の子が男の子にチョコあげることは良いと思います。女の子は気持ちを伝えられたってなんだか嬉しくなって、男の子もそんな気持ちを打ち明けられて嬉しくなる。そんなチョコを媒体として気持ちを伝えるのは良いと思う。でも残念ながらその数はほんの僅か。不幸の総量に比べたら微々たるものです。
結論、バレンタインは良くない。
気にしたら負け、結局喜ぶのはお菓子メーカーだけ。
って思いながら西野カナを聴いてるおれはクソ。
宮崎あおいと北川景子
じいさんがなんでも買ってあげるから言いなさいって言われたから、あれこれ悩んでパソコンがいいかな-とか思ってたんだけど、でも高いから申し訳ないと思い、もうすぐでる3DSとかiPadとかスマフォとか色々考えた結果、最後候補に残ったのが、MacかNEXで悩みに悩んだあげくNEX-5買ってもらった。
NEX-5はカメラでデジカメと一眼レフの間みたいなやつでいわゆるマイクロ一眼って言われるカメラ。
どん!!!!


カッチョイイ!北川景子感でてる!いわゆるかっこ良さと可愛さを兼ねそろえてるカワカッコイイっていうやつだね!
ぼくが女子高生だったら『ナニコレ!?ヤバ~イ!』って絶対言ってるレベル。
カメラにしたのはボクなりの理由があって、
って言うのもね、もちろん前から興味あったのもあるけど、、、
最近サークルのHP作ってて、いろいろ本読んだりして勉強してたんだけど、HPにはやはり写真は必要不可欠は言い過ぎだけど、良いHPには必要十分条件っていうことに気付いて、その本とかにも良い素材写真の撮り方とか載っててがぜん写真に興味出てきちゃって、多分学生でHP作ってるやつでそこまでやってる人はいないな-っていうこともあり、それがカメラにした理由の一つで、、
もういっこ理由があって、なんか知らんが最近サークルの写真をよく見返しててめっちゃ盛り上がって、また実家に来てからも自分の小さい頃の写真やら親の結婚式の写真やらが、たっくさん出てきてから見てて、そーゆうことがあって普通に純粋に写真っていいな~すごいな~昔のたった一瞬の絵を切り取っておくだけで、あとから見てあんなに楽しめるもんなのかってしみじみと感じてよし写真とろうと思ったっていうのがもういっこ理由。
いろんなことに興味を持ったほうが良いってじいちゃんも思って買ってくれたんだろう。
いまカメラの電池充電中だけど明日いっぱい写真とろう~♪
関乃尾の滝
『向日葵の咲かない夏』
『向日葵の咲かない夏』読んだ。すごいストーリー練られていた。後半のほうは一気に読めてしまった。スゴかった。面白いというか、キャラクターの気持ちの奥深くまでうまく描写されていて、うまく言えないけど文字を追っててゾッとした。
なんというか頭の良い小説っていうイメージを感じた。
また道尾秀介の本を読もうと思った。
川上体
なんか知らんが川上未映子の本を読むと考えることがおおい。でもそれはきっと内容が純粋に哲学的であるのと考えさせるように書いているからだと思う。
もし、自分の頭の中の思考をすべて文章にすると、どうなるのだろう。おそらくすべてのことは文字で表せない。言ってしまえば表せられるはずがないのかもしれない。このように今まさに今携帯で文字を打っている最中にも頭の中の声を辿るほかに色々なことを考えている。感じたことから次に思うのは連想されるもの。そしてその連想から連想し、とそれらをすべて文章に起こすのは難しい。人間の思考は、語らないまた語れないところが多くあると思う。それはさっきの頭の中の声であったり、考えているという意識がないような状態で頭で感じているなど。うまく言えないが、論理がうまくつながっていない文章を読んでもある程度言いたいことはわかるわけで、それはつまり頭で考えるやなしに感じているってことな気がする。そして、その感覚がとても大切な気がする。サークルやら学校やらで書かされるレポートや論文は矛盾なく正確に意見を主張しなければならないゆえに論理的に文章を書いていかなればならない。でもそれはとてもつまらん書き方だ。自由に解釈する余地が少ない。多分、自分も文章は論理的に書かなければならないと知らんうちに思っていて、そんな感じでこのブログも書いてしまっている気がする。確かにってこう書いてしまうこと自体がその象徴だけど、小説家になるわけじゃないし、どんな書き方でもいいかもしれん。けど、ブログでは思うままに書いても良いんじゃないかと思って今まさに書いているわけだが、それが必ずしもいいわけでもないとも思う。こんな風に自由気ままに書いては、読みづらいし(たいして読まれているわけではないが)
、川上未映子だって適当に書いているわけではなく、言葉を必要以上に考えた上でのあの文章であるわけで、ブログである以上不特定多数の人に見られるということを考慮してみてもなお、自分のブログだもん好きなように書けよって結論に達する。
ってこと川上未映子の本を読みながら思った。

