カテゴリー別アーカイブ: 日常

昔話

今でも不意に浪人時代のことを思い出すことがある。
ぼくは勉強中でも音楽を聴くので、浪人時代は良く音楽を聴いていた。
だからか今でもプレイヤーで音楽をランダムで再生していると当時聞いていた音楽が流れたとき、すこしせつなくなるというか、感傷的な感じになる。
特に浪人時代のことを後悔しているわけでもなく、それなりに頑張っていたとぼく自身思っている。でもあの時期ってすごく孤独でもう勉強をするしかないって感じである意味病んでいた気がする。
朝6時には家を出て、予備校が9時からだったのでそれまでミスドで朝ご飯食べつつ勉強した。そして予備校で授業受けて自習室にも最後の夜10時まで残ってて、そっから電車で最寄駅までいってクルマを運転しながらいつものラジオを聞きながら帰っていた。そして結局家に着くのが12時前っていう毎日。そんでまた次の朝は6時に家を出るっていう。すごい必死で頑張っていた。
そんな想いがあるからこそ、今の自分を客観視してせつなくなってしまうのだろうか。
今思うと、中学高校と長いこと続けていた陸上よりも浪人したことのほうが得たことが大きい気がする。
陸上もものすごく頑張った。常にぼくの一番近くには越えられない奴がいた。そいつはもともと足が早くて、才能というものに対してすごく嫉妬していた。でもまー結局そいつはぼく以上に努力してた(笑)ぼくも途中からスポーツで飯を食っていけないという現実を知ったときから、あんまり本気じゃなかったのかもしれない。
なんかこう考えてみると、短い期間かもしれないが、今まで生きてきたすべてのことが自分を作ってきたんだとつくづく思う。今でもラジオを聴くのは、受験生時代の習慣。コーヒーが好きになったのも陸上でむりやりブラックコーヒー飲んでいたのと浪人時代のマックでのコーヒーがあったから。きっと音楽のセンスも陸上競技場でMDを聞いていた時代からの影響だろう。それにこのブログだって高校時代浪人時代からの影響だ。
それがいまも続いているだろうか。
いまの自分の生活もこれからの自分を良く作っていけるだろうか。
「後悔しない」という言葉の重み。
それは後悔しないではなく、後悔したくないのかもしれないけれど、きっとそれで良い。
たとえどんなに自分の意思が曲がってしまうような現実にぶつかってしまっても、後悔しないで生きていければ、なんだかんだ幸せな気がする。

スマートフォンは如何に

ぼく自身Xperia arcにしてから20日くらいたった。
やっとなれてきた感じ。
ちまたでは、やっと普及率でAndroidOSがiOSを抜いたとか。
使ってみた感想
はっきり言って普通の携帯いわゆるガラパゴスケータイのほうが使いやすい。確かにスマフォは出来ることは多いが、まだその多様性にosが追い付いていないように感じる。アプリもたくさん出ているが、本当の意味で正直使えるアプリなんてほんの少ししかない。
果たしてスマフォユーザーは、ちゃんとスマフォを使いこなせているのか?
確かにインターネットが使えるのはとても便利だが、多くの人が使いやすさという点においてはあまり良い評価はしていないと思う。
そして、多くの人はスマフォを使いこなせていないと思う。まぁ使いこなさなくてもいいんだけどね。せっかくガラパゴスじゃなくてスマフォにしたんだから、使いづらいけどせめてガラパゴスでは出来なかったことをやろうよと個人的に思う。
とにかく今はスマフォを買うのはおすすめはしない。もう少し待ったほうが良い。OSがもっと画期的に使いやすくなるときが来る。そのときまで待つべし。
それでも、スマフォにしたいという人がいるなら、iPhoneが一番良いんじゃないかと思う。ソフトバンクだから電波があんまり良くないとか言われているが、使いやすさでいったらやっぱりiPhoneが一番だし、スペックも一番高い。
iPhone以外のスマフォを買うならば、デフォルトの状態での使いやすさをよく分析して買うべき。ぼくも最初はosが一緒ならゆーてあんまり変わらないと思っていたが、メーカーによって微妙に違う。確かにそれらの機能は、アプリケーションをインストールする事でカバーできるがやはり、デフォルトには勝てない。アプリによる機能の追加は使いづらさを感じずにはいられない。ぼくも、最初はどんどんアプリをいれていたが結局メモリの使用量が増えたりして動きが重くなってしまった。そして、今はほぼデフォルトのアプリを使っている。
例えば、デフォルトで実行中のタスクは見れるか、そして簡単に消せるか、またデフォルトのブラウザでタブの機能は使えるか使いやすいか、画面メモ機能はあるか等。他にも電話帳であったり、デフォルトで入っているアプリも比較したほうが良い。
しかしながら、一番スマフォで不便だと思うのは、こう文字を打つとき片手で持ちながらフリック入力すると、危うく携帯を落としてしまいそうになるところだわ。
Android携帯からの投稿

わこつ~

わこつ~。
いや前回もニコ生について書いたんですけどまだハマってます。
っていうのもね、最近ニコニコ動画にハマってるんですよ。
ニコニコ動画の中にもニコニコ生放送っていうのがあるんですけど、これが面白い。
いや単純に一般人がカメラなりマイクなりを使って生放送してるって言うだけなんですけどね。
そんで視聴者はコメントして、その配信してる一般人がコメントにコメントを返して会話をして楽しむというもの。
なんつーか結構可愛い子も放送しているわけですよ。
本当に普通の一般人の子なんですけど、自分でカメラ用意してパソコンにつないで放送してて、特におもしろい話をしているでもなしにただただ来たコメントに対してコメントするだけという一見ちょーつまらなそうな気がするんですけど、これが意外とハマっちゃう。
なにが良いかっていうのは、なかなか伝えるのが難しいんだけど、
まず、普通にそこらへんにいそうな可愛い子が、一人で放送してるっていうのが良いじゃないですか。
これまた、ぼくの中で一人でいる女の子は可愛く見えるっていう法則があるんですけど、まさにそれ。
結構ニコニコ生放送するのも、準備するのが大変なんですよ。ましてや女の子なんかパソコンが苦手な人が多いのに、もっと大変だと思います。もっと言うと、お金もかかるし時間だって決めて放送しなくちゃいけない。
そんなに大変な苦労があるにもかかわらず、放送してくれてるっていうのが良い。
あと女の子の放送の定番なんですけど、生放送でコスプレ枠って言ってOLやらCAやらチャイナとか初音ミクとかアニメのキャラとかのコスプレをしてくれるんですよ。
単純に本人がコスプレが好きなのかもしれないですけど、それでもわざわざ来て放送してくれるっていうやさしさっていうか健気さっていうかもう日本語じゃ表現できないくらい素晴らしい。逆にこっちが申し訳ないくらい。
ここがアイドルとの違いだと思うんですけど、普通のアイドルもコスプレしてイベントとかしますよ。でもそれって仕事だからっていうのが否めない。確かに近年、しょこたんを筆頭に私生活でブログにコスプレの写メを載せていますけど、あれはあれで良いですけど、結局はアイドルだしなーっていう風に思ってしまうんですよ。確かに可愛いし、グッとくるんですけど、結局は手の届かない存在というか、自分とは別次元の人間だなと思ってしまうんですよ。
でも、ニコ生はそうじゃない。ニコ生は、団地妻じゃないですけど、お忍び感というかこっそり感がある。自分だけが発掘した、自分が育てた、そんな気分になるんですよ。相手が一般人であるがゆえにとても身近に感じられる。それがアイドルとの違うところ。
最後にこれが一番ニコ生の魅力だとおもうんですけど、ニコ生は「コメントできて、その反応が直接返ってくる」んですよ。見てコメントとしてみたらわかると思うんですけど、相手が一般人と分かっていつつも、自分の書いたコメントが読んでもらえると想像以上にうれしいんです。本当にうれしい。良くライブとかにいって有名人とかに手を振り返してもらったりするとすごく嬉しかったりするじゃないですか、それに近い。またハマってくるといかに読んでもらえるコメントをできるかをい考えるんですけど、これまた面白い。自分のコメントをテーマに話が進んでいくわけですから、放送主が興味があって読んでくれそうかつ際どいラインのおもしろいコメントを考えるわけです。
それで読んでもらえた暁にはもう発狂するくらいうれしいですよ。
そんなゆーて一般人相手にそんなことしていて楽しいかと思うかもしれないですけど、楽しいんですよ。これをうまく説明できなくて歯がゆいんですけど、とにかくおもしろいんですよ。
もっとニコ生の魅力はある。ラジオともテレビとも違う。ネットならではのおもしろさがすごい。よくできてる。アイドルもいいけど、ニコ生はニコ生で良い。でもニコ生からアイドルになるとかはあまり感心できない。ニコ生っていうのはある意味他のメディアから隔離されているメディアであってそれをそれを他のメディアに発展させるのは、魅力が半減する。本当にこれはニコ生だからこその魅力。
ニコ生おkっす。

元祖アヒル口は鈴木あみ

いや、参ったね。
4月ですよ。
新年度の始まり。
サークルでも新入生を勧誘するためにいろいろ準備しているんですが、いろいろうまくいかないね。
いかんともしがたいこともある。
今日はサークルのビラ配りとOBの人と麻雀。
自分からなにをしなくても、いろんな人と交流があるのは恵まれた環境だ。
でもなにかしないとつまらんわな。自分も他人も。

よつばと読んだ

いやー参ったね。よとばと読みましたよ。
もうね、感動すら覚えましたよ。これが幸せかと。
よつばとの無邪気さとその周りの大人たちの優しさ、そして温かさ。
漫画の世界だからあたりまえだけど、現実世界とは違う世界がそこにはあって一つの理想の世界がそこにある。
幸せってこれか。これだったのか。なるほどそうかこれをぼくは求めていたのか。
いまぼくは大学生でとても時間がある。そう、よつばと同じように自由な時間がぼくにはあるのだ。
ぼくはよく暇だ暇だというが、それはきっと日常生活になにか楽しいことを求めているのだ。
その楽しいことの一つの理想的な形としてよつばとがぴったり当てはまっているのではないか。
だからこそよつばとに魅かれているのではないかと感じた。
おそらく人間には一生のうちでさまざまな幸せの形を感じる。いまは大学生で何の苦労をしなくとも遊ぼうと思ったら、好きなだけ友達を遊べる。こんな真夜中でも好きなだけ友達の家でゲームができる。漫画が読める。好きなだけ話ができる。それゆえその渦中にいる今それが幸せとは感じにくい。
でもきっと社会人になったらこんなことは滅多にできないだろう。そして今この時間に憧れるだろう。しかしながら社会人になったら今以上に経済的余裕があると思う。そしたら旅行に行ったりワイハーに行ったり、などなど今以上にできることが増える。そしてそれを幸せと感じるのようになるのだろう。
その時々の状況によって何が楽しくて幸せか違うようになるのだと思う。
きっと、よつばとの世界はその一つの形。
今のぼくと同じように、よつば自身は今の現状を幸せと感じにくいんだと思う。いや、正確には幸せと感じていても、今ぼくがよつばを幸せだと感じる以上にその幸せさを感じきれていない。
それと同様に、きっと今のぼくも5年後の社会人になって毎日働いているぼくからみたら、今の幸せさを感じきれていないんだと思う。きっとそーいうもん。
よく高校の友達と再会すると、「高校の時はもっと楽しかったなー」みたいな話をする。それもおんなじことなんだろう。そのとき以上当時の楽しさがより楽しいものに感じる。いや正確には感じきれる。思い出の美化もあるかもしれないが、その当時でしか感じることのできない幸せってあるんだと思う。うまく表現できないけど、つまりそーいうこと(笑)
だから結局何が言いたいのかっていうと、今平凡だと思う日常を十分に幸せなのかもしれないを少しでもいいから感じながら生きていったほうが幸せなんじゃないかということ。暇だと感じていてもそれもそれで楽しいかもと。どんなにお金がなくてもそれはそれで幸せかもと少しでも感じつつ生きていければ、もっとハッピーライフなんじゃん?ってことっすわ。あざーす。

人生行き詰まりの刻

いや、参ったね。
特に最近面白いことがない。
大学生の長期休暇は暇だ。時間はあるけどお金はない。
この時期になるとやはり大学受験のときを思い出す。あの時はあんなに大学のキャンパスがキラキラと輝いていて、歩いてる大学生もみんな頭良さそうでかつ君に届けの風早君ばりに爽やかに見えたものだが、理想と現実のギャップはおおきかった。
大学生になったからといって何も変わらん。あえて変わったと言えば少し根暗になったかもしれない。
って書いてるだけで気分が落ちてくるわ!(笑)
って少し自分に突っ込んでみるもこのようにすぐ冷静になってしまう。
はてはて。明日でオナ禁10日目。

2011/02/15

今日の天候は晴天。
いつもならばあちゃんが9時半には起こしてくるのだが、今日は10時半に起こされた。
そのまま朝食と昼食を兼ねたご飯を食べ、2時間ほど昼寝。ユニクロの友達から電話。その後、なんとなく身支度を整え、新しく買ったカメラを首に下げ、2時間ほど散歩。その間にスロを打つが9k負ける。家に帰り、また2時間ほど昼寝。夕ご飯のカレーを食べ、風呂に入り、12時就寝。

ブロガーの想い

昨日のブログは、mixiにもコピペしたらウケるとコメントがあったり、こっちでも考え方がおもしろいっていうコメントを頂いたりで好評だった。ありがとうございます、嬉しかったです。
しかしながら、非常に申し訳なく歯痒いが、面白いブログなどそう毎日書けるものではない(笑)
おそらく自然と自分の中で、自分向けと外向けを意識して書き分けていると思った。
昨日のはmixiにも載っけるということで完全に外向けでウケを頂きたいと意識しているところがある。
しかしほとんどの記事は自分向けに書いているんだと思う。自分の頭ん中を整理したり、考えを進めるため思考しつつ書いている。この記事もおそらく自分向け。
そう考えると自分向け記事は他の人が見てもつまらないのかもしれん(笑)
まぁ自分向けの記事は自分のために書いているからいいんです。それでいいんです。
理想は、ぼくが書く度々に見てくれなくても、たまに覗いて面白そうと思う記事だけ読んで気分が良くなったらコメントするっていうようなブログでありたいと思っています。
芸能人みたいに一つの記事に何千ものコメントがある派手なブログも良いと思います。
でもぼくはこのブログを、仕事終わりで家に帰ってきてビールでも飲みながら「ぷは-お、更新してるぞ。今日の記事は面白そうだな-」とかね!、休日の昼下がりに暖かいレモンティーとケーキなんかを食べながら「あら~新しく記事あがってるわ~今日のも面白そうだわ~コメントしちゃおうかしら」っていう感じの暖かいブログにしたいんですよ。
赤ちゃんを見ただけて微笑んでしまうように、このブログを読むだけで心が暖かくなるようなそんなブログ。
高3の夏から書き始めて、浪人時代、大学1年2年を経て、今でちょうど3年10ヶ月くらいかな。これからもどうぞお付き合いよろしくお願いします。

でも長澤まさみと榮倉奈々は好き。

今日はバレンタインだし、久しぶりに日記を書こうって思って朝からわくわくそわそわしていたんですが、誰からもチョコが貰えず、あまりのショックでもう今日は日記書かないしょぼん
と思っていたんですが、
チョコを貰えなかったショックでブログ書かないような心の狭い男だからチョコ貰えないじゃないかと思われるのもシャクなので書きましょう。
と思っていたんですが、
今日はずっと散歩しながらカメラで街並みをとったりして、やっぱり新しいから使い方とか分かんなくていろいろいじったりしてただけの1日だったんで特に書くこともないっていう。
まぁバレンタインだからといって何か特別なことはないですね。結局はお菓子メーカーが庶民からお金を貪るためにできた日で、幸せになれる日ではないわけですよ。確かにチョコ貰って幸せになって゚+。(*′∇`)。+゚っていう人はいるかもしれません。でもこのイベントができたことにより、国民いや世界中の人の幸せの総量は減ってるんじゃないかと思うわけですよ。今総理が最小不幸社会の実現って唱えてますけど、むしろこのバレンタインデーで逆に不幸が増えちゃってるんじゃないかと。そりゃ欲しいものなら幸せは増えるかもしれないけど、所詮チョコ。
チョコを貰える人は大抵彼女がいる人か夫婦ぐらいですよ。でもそんな人たちは貰っても毎年のことかとあんまり有難らない。少なからず年を重ねるにつれて有難さは減っているはず。でもこれは彼氏が悪いとかじゃなく、人間は順応しちゃう生き物だからしょうがない。でも結局チョコにお金を使ったわりに幸せは増えない。
あとはいわゆる義理チョコ。これが一番良くない。何も生まない。むしろ義理チョコを貰った人は義理か~と本命を貰っている人と比べちゃって悲しくなる。
最近は友チョコっていうのがあるけど、バレンタインに限らず友達にチョコくらいって言い方が良くないかもしれんけど、普通にあげますよ。意味分からん。
それでなんにも貰えない人つまりぼくみたいな人が、一番悲しくなるっていう構図。
確かにでも片想いの女の子が男の子にチョコあげることは良いと思います。女の子は気持ちを伝えられたってなんだか嬉しくなって、男の子もそんな気持ちを打ち明けられて嬉しくなる。そんなチョコを媒体として気持ちを伝えるのは良いと思う。でも残念ながらその数はほんの僅か。不幸の総量に比べたら微々たるものです。
結論、バレンタインは良くない。
気にしたら負け、結局喜ぶのはお菓子メーカーだけ。
って思いながら西野カナを聴いてるおれはクソ。