川上体

なんか知らんが川上未映子の本を読むと考えることがおおい。でもそれはきっと内容が純粋に哲学的であるのと考えさせるように書いているからだと思う。
もし、自分の頭の中の思考をすべて文章にすると、どうなるのだろう。おそらくすべてのことは文字で表せない。言ってしまえば表せられるはずがないのかもしれない。このように今まさに今携帯で文字を打っている最中にも頭の中の声を辿るほかに色々なことを考えている。感じたことから次に思うのは連想されるもの。そしてその連想から連想し、とそれらをすべて文章に起こすのは難しい。人間の思考は、語らないまた語れないところが多くあると思う。それはさっきの頭の中の声であったり、考えているという意識がないような状態で頭で感じているなど。うまく言えないが、論理がうまくつながっていない文章を読んでもある程度言いたいことはわかるわけで、それはつまり頭で考えるやなしに感じているってことな気がする。そして、その感覚がとても大切な気がする。サークルやら学校やらで書かされるレポートや論文は矛盾なく正確に意見を主張しなければならないゆえに論理的に文章を書いていかなればならない。でもそれはとてもつまらん書き方だ。自由に解釈する余地が少ない。多分、自分も文章は論理的に書かなければならないと知らんうちに思っていて、そんな感じでこのブログも書いてしまっている気がする。確かにってこう書いてしまうこと自体がその象徴だけど、小説家になるわけじゃないし、どんな書き方でもいいかもしれん。けど、ブログでは思うままに書いても良いんじゃないかと思って今まさに書いているわけだが、それが必ずしもいいわけでもないとも思う。こんな風に自由気ままに書いては、読みづらいし(たいして読まれているわけではないが)
、川上未映子だって適当に書いているわけではなく、言葉を必要以上に考えた上でのあの文章であるわけで、ブログである以上不特定多数の人に見られるということを考慮してみてもなお、自分のブログだもん好きなように書けよって結論に達する。
ってこと川上未映子の本を読みながら思った。

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