ちょうど去年の今日の日記に、自分が勉強したいことよりとりあえずレベルの高い大学に入りたいみたいなことを書いてたのを思い出した。
(去年の自分の意見に対して)
やっぱ偏差値の高い大学や知名度の高い大学のほうが普通の人からすごいと言われるというのは、確かにあると思う。
学部とか学科までは聞かれないし、聞いた噂では入試において偏差値が昼間部に比べて圧倒的に低い夜間部でも、就職するときには昼間部の人と変わんないとか、、、、
ホリエモンも東大を狙うときに一番入りやすい学部を選んだとか。
そう考えると偏差値の高い大学の穴場を狙うべきだなと思う。
しかし、穴場を狙うのもありちゃありとは思うけど、その選択に自分の望む先はあるのか、多少なりとも関心があるならまだしも、まったくないなら大学をやめるかもしれん。
あともう1つ思うのが偏差値だけがすべてじゃないなということ。
正直な話(かなり危険な話かもしれない)、スポーツにも向き不向きがあるように、勉強にも向き不向きがある。もともとできる人や、人よりも単純記憶が優れてる人は、普通の人よりも効率良い勉強ができる(サヴァン症候群とか言われる人もいるし)。俗にいう天才とか秀才とか言われる人は、極端な話、ある人は1年かけて理解したり、覚えたりすることをそういう人は1ヶ月でできてしまうかもしれない。
そう考えると、
勉強ができる=頑張って勉強した
という方程式はいつも成り立つわけではないと思える。
でもやっぱり一流大学を出ていると、その肩書きだけで一目置かれる。
それってやっぱり当たり前だけどおかしい。
確かに勉強ができるほど、自分の意見をしっかりもってて素晴らしい人は多いと思う。
でももともとできる人はさほど努力しなくても一流の大学に入ることもあるということ。もちろんその大学に入りたくて一生懸命勉強したけど落ちちゃった子もいるはずだ。
話を広げると、プロセスはどうであれ一流大学に入ってしまえば、周りの人からちやほやされるし、ある程度の将来は保証される。
仮にその人が努力してないとしてもだ。
大学受験というごく限られた分野が得意な人はそれだけである程度の社会的地位はゲットできる(幸せになれるかどうかは別として)。
頭良い人は勉強してなくてもできるとは言わない。もしそれを言ったら、一生懸命頑張って勉強している人に失礼だし、下手したら非難されるかもしれない。それに言わないで、努力して良い大学入ったって言ったほうがすごいなぁと思われるわけで、
頭良い人っていうのは言わないほうが良いことだらけだと気付いてるわけだ。
そう考えると偏差値は気にするのは可笑しな話だと思う。
でもこんなの一流大学に対する妬みや嫉妬だ、と言われたらそれまでだし、こういう書くこと自体偏差値を上げようと頑張って勉強している人全員(ぼくもか、、、)に失礼かもしれん。
書いてる最中にこんなこと言及してもしょーがないなとも思ったが、将来自分が見返すかもしれんし、やっぱりアップしとこと思った。