言葉の行方

言葉は人とコミュニケーションのためにつかわれるものならば、その言葉の行方は相手の胸の中であろう。
しかしながら、ひとりごととは誰に対しての言葉か。テレビ見ててチョーウケルとか言ったとしてそれはどこに行くんだ?ひとり部屋の隅でさみしいと呟いたりしてその言葉はどこに行くんだろうか。
漆黒。
Twitter上で生まれた言葉、吐かれた言葉はどこか真っ暗闇に葬られている気がする。
誰に向けての言葉なんだ、他人?自分?
Twitterに書くような内容をただのノートに書くだけでは満足できないんだろう。
何が人をそうさせる。言葉を吐くという行為は、単なる自己主張か?現代の人々はそれを認めあった上で、フォローしたりされたりしあっているのか?自己主張されても良い相手だけを求め、フォローする。そんな関係が今世の人々が求めてることなのか。インターネットという文明の果てというものはそんなものなのか。人々が手軽に自己主張できるってことなのか?
自己主張が悪いというわけでもないが、人間同士の関わり合いはそんなものであってほしくないと思う。
だからインターネットの関係は薄いとか言われんねん。もっとなんかこう人々にとって有益なインターネットの活用法があるはず。ずっと前にも書いたけど、Twitterは、やはりブログを越えられないではないかと思った。
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