Twitter廃人

まじでなんなんだこのツイッターの利用方法は?自分に対する反応が欲しいのか?ただのかまってちゃんなのか?ただ人より自己顕示欲が強いだけなのか?寂しさを紛らわすためにツイッターを利用して誰かにかまってもらう。そんな文化はやっぱり人間をダメにしてしまう気がしてならない。人とコミュニーケーションをとるのは良い事だと思う。それは間違いないと思うが、やはり本来のあるべきコミュニケーションの形は面と向かって話すことじゃないのか?それともこれは、昔携帯電話が古い世代に受け入れられづらかったのと同様に、10年後は当たり前になっているんだろうか。そう考えると自分が思っているような根暗で家に帰ってすぐにパソコン開いてニヤニヤしてるっていう人間像ではないのかもしれない。確かにそれは極端だが、もっとナチュラルにリビングでメールしてる風にただツイッターをしているというだけなのか。それが楽しい。メールとツイッターの違いとは。ただ世の中の人に広く自分のつぶやきが見られる、またフォロワーというある意味不特定多数人間とリプライを飛ばし会えるという違いでしかないと思う。これはブログという媒体が流行りだした時に似ている。なぜ日記を世間に公開しなければならないのか?今までは日記なんて人に見せるようなもんではなくむしろ自分だけが見るプライベートなものであったはず。しかしながら人間は交換日記という文化もあるように、日記また文章というある種の自己の創造物は他人と共有することに価値を見出してきた。その踏み台があったからかわからないが、比較的簡単に日記というものを不特定多数の人に見られることを許容してしまう人が多いのかもしれない。ただこれもブログという文化は日本だけでしかブームになっていないという意見もある。海外では日記というよりむしろ備忘録的な用途で使われており、日々の出来事なんて記録しない。公開していない。ツイッターも然り。日本人が一番多く利用している。なぜか。多くは国民性という一言で片付けられてしまう。話を最初に戻すとツイッターは人間をダメにしないか?という疑問。ブログなどをOKだからといってツイッタはOKにはならない。余りに用途が違うからだ。ツイッターはまさに呟き。日記のように日々の出来事を記録するものとは一線を画している。こんな文章はツイッターだとくそめんどい。何回も分けなくちゃいけない。あくまでも呟き。やはりツイッターは寂しさを紛らわすツールでしかない。つぶやくことによって誰かに気にかけてほしいという思いがあるのだ。それを文明の発展として良く取るか、人間が弱みにつけこんだサービスと取るか。結論として、やはり依存してしまうのは良くない。それに尽きる。一昔前に携帯依存症やメール依存症という言葉があるように現在ではツイッター依存症という言葉がある。依存してしまうと人は弱くなる。なんでもそうだが、特にツイッターの場合はその効果が大きい。闇雲に呟くのはあまり宜しくないかと。
Twitterより引用

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