カテゴリー別アーカイブ: 考え事,気づき

人が怒るのは自分が正しいを思っているから

腹が立つのと腹が立つ振りをするのは当然違う。
よく人が怒るのは自分が正しいを思っているからというが、まさにその通りで「怒る」という行為はある意味そいつの傲慢(考えの押し付け)であるとも言える。
怒るという行為が正しい場面というのはあるのだろうか。
それはおそらく、本当の意味で他人の事を想って怒る時だろう。
前に書いたかもしれないが、ぼくが小さいころよく親父に「お前のことを想って怒ってんだろうがっ!!!!」とよく怒られた。
そんな時、毎回の事ながら「本当におれの事を想っているんなら怒らないでおれのやりたいようにさせてくれよ」と思ったものだ。
でも今ならその本当の意味が分かるかもしれない。
人間誰でも譲れないところっていうのはある。それは今まで生きてきた経験や自分の信条みたいなものだ。
そしてそれはその人の中で「こうした方がいいかもしれないなー」っていう推測から確固たる確信に変わっていく。
「人生どう生きるか」みたいな一般的に答えのない問に対して、その人の中で確信=答えになっている。
これは、合ってるとか間違ってるとかじゃなくて、なんつーか理屈じゃなくて、、、その価値観をわかってほしいという気持ちは嘘ではない。
確かに価値観の押し付けであるのは変わらないが、その価値観を押し付けることが相手に対する思いやりになる場合もあるのかもしれないってこと。
きっとそれはその人なりのやさしさで、実際その答えが間違っていたとしても、その人の思いやりであることには間違いないわけで、それも理解した上で怒られるのが正しいのかもしれない。
自分もむやみやたらに腹を立てて、怒るのは良くないなと改めて思うのと同時に、そこまで相手を想いやって人のことを怒れる人間になりたいなと少し思ったりもした。

恋愛について雑記

「恋愛だって人間同士の関わり合いなんだから、相手を思いやれなきゃうまくいきっこないよ」
↑これマジ名言(NANA4巻参照)
マジでぼくは人の気持ちが分からんのかもしれない。いや、知らんけど。変わってるとよく人に言われることがあるが、確かに変わってるかもしれないとも自分で思わなくもない。変わってると言われるのも嫌いじゃない。
変わっているがゆえに分からないのかもしれないと思う。よく相手の立場になって考えろとかいうけど、相手の立場になって考えても分からない。できるだけ相手の意見や気持ちは理解しようと努めるが、全く分からないときがある。
特にそれが恋愛というか女の子と話してる場合に多い。
よく男と女の考え方は違うという。
またよく理屈っぽい男は嫌われるという。
り‐くつ【理屈/理窟】
1 物事の筋道。道理。「―に合わない」「―どおりに物事が運ぶ」
2 無理につじつまを合わせた論理。こじつけの理論。へりくつ。「―をこねる」
ここでまた言葉の意味を調べてしまうあたり理屈っぽいといわれる理由なのかもしれない、、、orz
ろんり‐てき【論理的】
[形動]
1 論理に関するさま。「―な問題について書かれた本」
2 論理にかなっているさま。きちんと筋道を立てて考えるさま。「―に説明する」「―な頭脳の持ち主」
でもまたここで理屈=へりくつに納得いかなくて、他の言葉も調べてみる、、、orz
なんつーか、ぼくが理屈っぽいせいか冷酷な人間なのか知らんが、よく「恋愛に対して冷めてる」と女の子から言われる。
このように文章として書いてしまうところが冷めてるのかもしれないが、これは自分の考えを纏めるときは文章に書くという性分だからしょうがない。
そして冷めてると聞かれてなんで?って聞くと、「私のこと本当に好きかどうかわからない」みたいなことを言われる。
女の子からすると愛されてると感じないらしい。
ここでぼくがまた悩んで、好きだよ愛してるよと言ってもそれはそれでとってつけたようで嘘っぽいと言われる。
それは分かるのだが、それでは常日頃からそのような言葉を言わなければ女の子は満足しないのだろうか、、、
ぼく的には、そんな言葉を毎日使ってしまっては、その言葉の価値がなくなって、意味が薄れてしまう気がしてならない。
言葉だけでもいいから、愛されてる証拠がほしいとも言うが、、、そんな関係本当に愛し合っているといえるのだろうか、、、
「恋愛だって人間同士の関わり合いなんだから、相手を思いやれなきゃうまくいきっこないよ」
ここでまたこの言葉を思い出す。結局恋愛だって人間同士の関わり合いなんだから、本当に人の気持ちを理解する分かり合うことなんてできないとぼくは思う。
残酷かもしれないが100%相手の気持ちを理解することなんてできない。
如何にその見えない相手の気持ちを、信頼してあげるかがうまくいくための秘訣なんじゃないだろうかと思う。
きっとその信頼関係を築くのはとても時間がかかる。
「恋愛は、熱くなるのがはやければ冷めるのもはやい」というのもその信頼関係が築かれてないからなんじゃないかと思う。
どんなに相手の気持ちが分からなくて不安になったとしても、その不安を取り除くためには時間をかけるしかない。
とぼく(21歳大学生)は思う。ぼくは今すごく恥ずかしい。

日常

グローバル・エリートになって日本の盛衰に関係せずに豊かになっていける日本人は、同世代の1%もいない。だったら、最初からあきらめて、衰退する日本の中で日々小さな幸せを見つけていく、ということが何よりも大切だと思う。明日は今日よりも暗く、貧しくなるのだから。
@kazu_fujisawa ツイッターより引用
今日は、このツイートについて考えたい。
このツイートを見たとき一見めっちゃ暗く残酷なことをいっていると感じたが、きっとそれは違う。
ある種の諦めというか、良い意味で諦めて前向きに生きていくことが大切だという真理な気がした。
当たり前といってしまえばそれまでかもしれないが、実際に頭で分かっていても日々小さな幸せ見つけることを実行するのは難しい。
「前半の豊かになっていける日本人は同世代の1%もいない」というのは経済的なことについて言っているが、お金持ちであるからといって、必ずしも幸せになれるということもない。
お金なんて幸せに直接的な影響を与えるものでもない気がする。自分でいうのもなんだがぼくはあまり物欲がない。だから人一倍強く感じるのかもしれないが、お金によって得られる幸せなんて本当に一時的なものだと感じる。たとえば、PS3とかゲームを買ったとして、もうずっと毎日のようにやっていたとしても、それは心に残るような幸せではない。きっと死ぬときに「あのゲーム面白かったなぁ~おれはあのゲームができて幸せだった」と思うことはないと思う。
きっとお金で買える幸せなんてそんなもんなんじゃないかと思う。
結局、幸せになるためにはお金持ちであっても貧乏であったとしても、日々小さな幸せを見つけていくことが人生において一番良い生き方なのではないか。そのやって生きていけば今日よりも明日が暗く貧しくなったとしても、何も変わることなんてないし、だからこそ日常で幸せを見つけることが大切だと改めて感じた。

ジグソーな世界

みんな自分の居場所を探してる
自分が一番ぴったり当てはまる場所を
自分がその枠からはずれないように
誰もが人に認められたくて
周りに合わせて良い顔したりするけど、そうでなくちゃ生きられない世界なんてクソ同然で
もしかしたらそうするとみんなわがままになっちゃうかも知れないけど
やっぱりぼくは性善説派で、そうであってほしい
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幸せとか

不満がないことが幸せではない
幸せってきっと100%のゲージがあっての今幸せ60%で不幸せ40%でまぁまぁ幸せとかになってるんじゃない。自分が幸せと思えばそれで幸せ。むしろ不満があることすら幸せと思うのが本当の幸せなんじゃないかと思う。幸せを見つけられるかが勝負。よくこういう話をすると、幸せは金で買えるとか言うけど、金で買える幸せは浅い。それは誰でもその幸せは買おうとすれば買える。そんなんじゃない。もっとこう自分だけの幸せっていうか、幸せを探していればいつかきっと自分が幸せだと思う瞬間がある。でもそれは妥協していてはいけない。自分が納得して人生を歩んでいかないといけないんだと思う。あくまでもお金は幸せを買うためのひとつの道具でしかない。まぁ頻繁に使う道具って感じ。
なんとなく生きていくんじゃなくて、幸せだと思うことを探していくことが大切だと、今日とらドラを見て感じました。
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ブログとツイッター

本当にここ1年でツイッターが急速に広まっているが、どうもぼくは使いこなせない。
あの小さな枠になんと面白いことを呟けばいいかわからない。むしろわからんけど、しょーもないことばっか呟いてそれが世の中に発信されて勝手にリツイートとかされてその価値観を世の中の意見として押し付けられているような気さえしてしまう。それは社会問題に対する意見ばかりでなくて笑いのセンスすら押し付けられているような気になる。
ツイッターは、ブログが進化した形だという意見もある。人は基本的に世の中に対して自分の存在をアピールしたがりで、今まではブログがその代表であったけど、もっと手軽にできるということでツイッターが広がったとかなんとかいう意見。
確かにブログって芸能人のブログを見ているとよくわかるが、日常の出来事を書いていくもので、ツイッターも今何してるといったように、似ている。
おそらく、ここがぼくが使いこなせない原因なんだろう。ぼくのブログは見てわかるように日常生活のことについてはあまり書かない。
自分の思ったこと感じたことをつらつらつらつら書いているだけである。だからブログの延長で、ツイッターをやるのは難しい。自分の考えを書くにはあまりにもわくが小さい。もう少しラフに呟いた方がいいんだろうか。しかしながらしょーもないことばっか呟いておもんないやつだと思われるのも嫌だ。それならやらんほうがまし。難しいところ。
もうちょっとツイッターについて研究が必要だ。
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経験は買ってでもしろ

苦労は買ってでもしろっていうけどそれは実に良い言葉だとぼくは思っている。でもぼく的に言い換えるならば経験は買ってでもしろと言い換えたい。
実際お金で買える経験なんてたくさんある。いつも繰返し同じように趣味にお金を使うのもいいが、たまには新しいことに挑戦するためにお金を使うのがいいんじゃないかと個人的には思う。ぼくの場合まだお金を自分で稼いでいるわけではないので必要最低限で(笑)
新しいことを始めるのは、多くの場合とても学ぶことがおおい。しかしながら確かに、新しいことを始めるのはちょっと怖いところもあるし勇気をもって飛び込まなければならない。正直そんなことをやっても全く意味ないかもしれないし、むしろ損するかもしれない。周りに批判されることもあるかもしれない。
それでも何か新しいことを始めたらなんかしらの学ぶことはあると思う。少なからず実際にぼくはそう体験してきて今のところはそう感じる。
どっかで自分の糧になっている。変わらないなんてつまらない。日々何かを変えて成長していくのが面白い。見ているだけでもダメ。実際に体験したらきっと何かえるものがあるって。たとえそれを人にばかにされたとしても、きっとそいつはその体験してないしそいつには批判する権利はない。実際に体験してるやつの勝ちだ。
何が言いたいかっていうと少しでも興味のあることは何でもいいから経験したほうがいいよってこと。
だからといってこれを人に無理強いをしようとしてるんじゃなくて、
せめて、、、新しいことを始めようとする人がいたら、批判するんではなく、それ面白いねと言って背中を押してあげて欲しいと個人的に思う。
初めてのAndroid携帯からの投稿

ニコ厨

今日腐るほどニコニコ動画でニコ生を見てしまった。
一般人が自分をカメラで撮って生中継するというもの。
そんで視聴者はコメントして、その配信してる一般人がコメントにコメントを返して会話をして楽しむというもの。
このように書くとそんなんが面白いのか?と思うかもしれないが、意外と面白い。
いわばテレビと会話するようなもんだ。もう配信者はある種芸能人的な感じになっていてその人にコメントしてもらうのが嬉しい。
きっと理由はいろいろあるだろうけど、純粋に人と話すのが楽しいというのが一番の理由じゃないかと思う。
最近スカイプなどでも友達と話してかなりの時間を浪費していることが多い。
確かに楽しい。
しかしながら、そのような時間は超絶無駄だと感じる。
確実に会って話しているほうが充実してる。
密度の濃い時間を過ごすことばかりが良いというわけではないが、気を付けてないと流されて自分にとっていちばん大切な時間を無くしてしまう気がしてならない。
いままではテレビが人の時間を奪っていた。言ってしまえば馬鹿にしていたと思う。でも今はネット動画やスカイプが人の時間を浪費させ、馬鹿にしているじゃないか。
ゲームならある程度時間を考慮しながらやるが、テレビやネット動画はあまりにも情報が一方的すぎて時間すらも気にしなくさせる。
これは本当にこわい。すべてが吸い込まれてしまう気がする。
楽しいけど我慢する必要がある。自分で考えることはしないいけない。影響を受けるだけではダメだ。自分の中で咀嚼し考えを発展させないと腐る。
またメディアは考え方はある意味全部偏っている。
それはメディアという媒体を通している限りしょうがないのかもしれない。考え方なんていく通りでもある。その考えをなぞって、一番自分に近い考えを偉ぶんじゃない。結果はメディアと同じになろうが、その過程はオリジナルでなければならない。それは、意識的に自分で考える時間がないと得られない。
上に書いたこと自体あくまでも考えのひとつだ。もはやこんなこと考えるかどうかすら良くないという考えがあるだろう。このように考えてブログを書くことが良いという考えの下、過程はオリジナルであるべきという考えが成り立っている。
この考えすら、一意見だ。
つまり、一言でいうと勉強もしなくちゃいけないねということ。

人付き合いとはなんなのか

人付き合いと言ってもいろいろな形がある。友達、彼氏彼女、先輩後輩、身内…など様々ある。
また生きていくうえで誰もが一度は考えるテーマだと思う。
それぞれ人付き合いの形はいろいろある。現代はインターネットの発達で、電話やメールに始まり、SNSやスカイプといった媒体を通して人とのつながりの形が非常に多様化している。
どうように人と付き合うのが正解なのだろう。正解なんてないかもしれない。でもやはり人付き合いのより良い在り方はあるはずたと思う。
ぼくは人付き合いはあまりうまくない方だ。友達と遊んだりしていてもどこか落ち着かない感じがする。仲の良い友達で遊んでいても時々自分がその輪に馴染めているかと気になることがある。そのせいでさらに不安になってせっかくの楽しい時間を楽しめない。そうなってくると友達が本当に仲の良い友達かどうかまで分からなくなって不安になる。また人見知りというのも関係しているかもしれない。人見知りなゆえ、相手の人に対してどこまで踏み込んで話をしていいのかを非常に躊躇する。そんな思いもあってぼくは人付き合いがうまくないと思う。
またに初対面でもいきなりあだ名で名前呼んだりしてとても馴れ馴れしい人がいる。そういうのを嫌いという人もいるが、ぼくとしては人見知りなのでありがたい。そんな人をうらやましいとも思う。たいていその人は明るく場を盛り上げるのがうまい。話もうまく人ひきつける。きっとそんな人付き合いもひとつの形だなと思う。
ぼくイメージでは上の例もあって人付き合いがうまいやつはたいてい彼女持ちだ。やはりそういう人は男女問わず人をひきつけるんだろう。それも尊敬してるひとつの理由かもしれない。
人付き合いがうまい=盛り上げるのがうまいとは反対に、あまり話する量は少ないが一緒にいてなんか楽というかなんとなく楽しいという人もいる。これは、よく言う関係が、浅く広いか深く狭いという違いかもしれない。決して前者を浅い関係だとは思わないが、結婚の相手などは後者のような人の方がうまくいくと思っている。そんな人がたくさんいる人もまた人付き合いがうまいのかもしれない。
なんかいろいろ書いたが、なにが良い人付き合いかはわからない。もしかしたら一生考えるテーマなのかもしれない。でもいま思うことは、地元の友達やいまの大学の友達どちらにせよぼくが社会人になってもずっと長く付き合うような関係にしたいということ。

地震ちょー不謹慎日記

旅行から帰ってくるなり、地震騒動でいろいろ疲れた。
まだテレビで1日中地震速報やってるけど、被災者の方大変そうですが、頑張って乗り越えてほしいですね。
それはそれで置いといて、地震に関しての情報がツイッターやらmixiやらで拡散しててすごい。まぁこんなこと書きたくないですけど、こういろいろ思うことがあるわけですよ。確かに、被災者が可哀想、助けてあげたいと思う気持ちは分かるし、共感もできる。だからといってその気持ちを押しつけてはいけない。そんな地震とかどーでもいいと言っている人がいたとしても非難してはいけないと思う。今回の場合、ツイッターのサーバーの負担とか電力不足やらの問題があって電話はしちゃいけないやら節電はしなくちゃいけないみたいなことを押しつけられすぎている。それはあまりにも感情的な考え方な気がする。またあまりにもそのような考えの人が多すぎる。君は本当に被災者のことを考えてるのか?と聞きたい。あまりにも考えてない人が多すぎる。総理が被災地をヘリコプターで見に行ったなんていうのはその最たる例だ。お前が見に行ったところで何も良いことはない。むしろえらい人が来るとその対応で現場が混乱する。それよりも現場の人たちを信じてすべて任せることが大切だろう。よく考えれば私たちに出来ることは限られていることは誰でもわかると思う。自分にできる限りの寄付やら節電やら車に乗らないようにするぐらいだ。ただそれも協力しようと思う人だけやればいいと思う。電気使いたいやつはどんどん使えばいいし、車乗りたきゃどんどん乗れと言いたい。
ジコチューだけど地震のせいでテレビちょーつまんないし、ツイッターとかmixiとかもツイートで変な持論振りかざしてる人もいる。さらにツイートやmixiだと便乗するやつもいるからより一層うざい。そんな持論どーでもいい。ただお前の持論を押しつけんなよって感じ。そんなに被災者心配なら東北まで食料持って助けにいけよ!
死んだ人もたくさんいるし、未だに消息不明な人もいる。どうにか一人でも多くの人に助かってほしいです。